サプライチェーンと品質

 後者のサプライチェーンでは,部品や素材の調達,製造,在庫,輸送,販売など,ものを加工し移動するアクションが行われる。前述の通り,情報収集および意思決定の時間を分けて考えると,「企業が素早くアクションを行う」ためには,ものの加工や移動に際して極力余計なものを持たない,つまり無駄な在庫を持たないことが重要である。

 例えば,最新のMPU(Micro Processing Unit)がリリースされたときに旧型のMPUを搭載したマザーボードやPCの在庫が大量にあれば,最新MPUを組み込んだPCの発売が遅れてしまう。無駄なものを持たない取り組みは,サッカー選手のように贅肉がない状態(Lean, やせた,無駄のない)を模して“Lean Manufacturing”と呼ばれる。

 ではこの取り組みと品質はどのように関係するのか。そもそも,在庫とはなんのためにあるのか,またどのような原因で発生するのか。在庫と言ったときに,例えば人気のある商品が小売店の店頭にたくさん積まれている様子を想像する人もいるであろうし,逆に売れ残った商品が倉庫で埃をかぶっている様子を想像する人もいるであろう。

 前者はまとめて運んで在庫する“ロット化”で,輸送コストを下げている。つまり合理的判断の下に“意図的に”持つ在庫である。他の例として,冬に向けて夏頃から冬物衣料を生産して在庫する“先作り”や,生産ラインの途中にある加工中の部品や製品などの“仕掛かり”なども,意図的な在庫の例である。意図的とは言え,ある需要を想定して在庫している(リスクを伴う)ものであるから,実際の需要が想定を下回れば後者のような“余剰在庫”になる(リスクが顕在化する)危険性は必ず持っている。

 需要が予想を上回ったり逆にサプライヤーからの供給が予想を下回ったりしても,在庫切れを起こさないように持つ“安全在庫”も在庫の大きな要因である。別の言葉で言えば保険としての在庫であるが,保険である以上使わないこともあり得る。つまり,ある確率で“余剰在庫”になることを想定済みであるとも言える。このようなサプライチェーン上に存在する“意図的な在庫”や“安全在庫”は,需要状況が変化すると“余剰在庫”という贅肉と化し,サプライチェーンの迅速な方向転換を妨げる。

在庫を減らす考え方

図2 在庫を減らすための対策
図2 在庫を減らすための対策

 ではこの贅肉をどのように低減するのだろうか(図2)。“意図的な在庫”の中の“ロット化”による在庫〔図2中の(1)セットアップコストが大きいために必要となる在庫〕であるが,例えば小さなロットサイズで生産をしても経済的に割があう体制(例えば「短時間でプレス機の金型を交換する」などの短時間/低コストで段取り替えを行える体制)を整えることにより解決につながる。このような取り組みは消費者嗜好の多様化という昨今の市場動向に対応するためにも必須である。ところが,生産ラインが安定せず一定の品質の製品が得られるまで調整が必要であるとどうなるであろうか。結果的に小さなロットでの生産は割にあわず,“意図的な在庫”,ひいては“余剰在庫”の発生につながってしまう(“先作り”に関しては,品質との関わりが少ないので本稿では割愛する)。

図3

図3 設備稼働率が高い状態で生産進捗のバラツキが
大きくなると,仕掛かり在庫は急増する。

式1

式1 安全在庫水準を決定する式

 仕掛かり在庫〔図2中の(3)生産,輸送のリードタイムのために必要となる在庫〕の削減はサイクルタイムの短縮と同意である。それを実現するためには加工や輸送に要する時間を短縮することと同時に,生産進ちょくのバラツキを小さくすること,つまり品質の向上が有効である。設備の稼働率をも同時に高めようとすると一層バラツキ低減が求められる。例えば,なるべく多くの車をなるべく早く高速道路を通過させるなら,極力車間距離を詰めて同じ速度で走れば良い。しかし,それぞれの車の速度がぶれてきてブレーキを踏む車がでると,渋滞が発生し通過時間が伸びてしまう。この様子をグラフ化したものを図3に示す(2)

 次に,“安全在庫”について考える。安全在庫水準を決定する式を式1に示す。供給リードタイムの変動と需要量の変動が標準正規分布に従うと仮定すると,安全在庫水準は供給リードタイムと需要量の平均値と標準偏差値,安全率より計算できる。この式より,(4)の需要の変動(標準偏差)と(5)の供給リードタイムの変動(標準偏差)が安全在庫水準に同様の影響を与えていることが分かる。最近の研究ではサプライチェーントータルの在庫をコスト換算して見た場合,需要の変動による影響よりも供給の変動によるものの方が大きいという報告がある(3)

 この供給の変動を小さくするということがまさに,部品が設計通りに製造されるか,輸送工程が予定通り流れるか,という製品やサービスの品質を高めることなのである。需要の変動に対しては需要予測の精緻化などにより改善される可能性があり実際多く取り組まれている。しかし,需要(すなわち消費者の行動)が完全に管理できない以上ゼロにすることは難しい。一方,供給の変動はサプライヤーなどを含めれば管理可能な範囲であり,“安全在庫”の削減に直結する。

 品質の裏付けなしにアジル経営の“まねごと”をするとどのようなことになるだろうか。十分に品質が安定する前に製品を市場に出せば,クレーム対応やリコールといったコストが発生する。企業の社会的責任を損ねるような事故が発生すれば,その損害は計り知れない。これら低品質に起因する対策コストは,米国の平均的産業で売上金額の7~30%にも達すると言われている(4)。製品や中間製品の在庫がさばききれる前に新製品を発売したら,廃棄コストが発生する。一時的なまねごとは可能かもしれないが,このようなコストの発生はアジル経営の目的である「市場機会を素早く“利益に変換する”」に反することは明白である。

 今日の企業にとって,その言葉を意識するか否かは別にして,アジル経営は避けては通れない戦略である。そして,これまで述べてきたように高品質はアジル経営という戦略の前提条件なのである。品質という現場の底力がないと戦略も絵に描いた餅にすぎない。品質の向上は歩留まりの向上や原価率の低減といった一次的な効果と同様に,企業の取りうる戦略や競争力そのものにも大きな影響を与えるのである。

著者紹介

上野 善信(うえのよしのぶ)
金沢工業大学知的創造システム専任教授(オペレーションズマネージメント担当)
東京大学工学部卒。カリフォルニア大学バークレー校大学院(オペレーションズリ サーチ)及びマサチューセッツ工科大学スローン経営大学院(MOT)修了。訳書に 「サプライチェーンマネージメント概論」などがある。新日本製鉄株式会社にて、自 動車・素材・ハイテク・消費財・流通などの業界向けにSCMのコンサルティング、シ ステム導入、組織変革支援などを行う。その後、ベンチャー企業の創業に携わり、現 在はアサガミ株式会社にて、取締役経営企画室長兼情報システム部長。戦略~戦術レ ベルの企業間連携に取り組む。

参考文献
(1) Larry Sullivan, “Quality Function Development”, American Society for Quality Contril Journal.
(2) Ravi Anupindi et al., “Managing Business Process Flows-Principles of Operations Management”, New Jersey: Pearson Prentice Hall, Second Edition, p.216.
(3) Lawrence V. Snyder and Zuo-Jun Max Shen, “Supply and Demand Uncertainty in Multi-Echelon Supply Chains”.
(4) Jack R. Meredith and Scott M. Shafer, “Operations Management for MBAs”, John Wiley & Sons, Inc., Third Edition, p.128.