製造業やサービス業において,「良いもの」を提供すれば売れた時代はとうに過ぎ去り,さらには「良くて安いもの」が継続的に消費者に受け入れられる時代も過去のものとなった。現在では移ろいやすい消費動向に即応し,「良くて安いものをタイミング良く」提供しなければ,企業が生き延びられない時代となっている。

 そのため,企業は組織の“敏捷性”を高めることで,こういった難しい状況へ対応しようとしている。市場機会を素早く利益に変換する経営戦略を“アジル経営”という。アジル経営のアジル(agile)とは敏捷な様を表す。アジリティー(agility,敏捷さ)という言葉は,サッカー中継などでしばしば耳にすることもあるだろう。サッカーなどの運動と同様に企業経営においても,
(1)情報を収集して状況を正確に把握する
(2)次のアクションを決定する
(3)実際にアクションを行う
の三段階をいかに素早く行うかが重要であり,それ故,敏捷性を高める必要があるのだ。

 企業は,上記の(1)を具現化するために,ICT(Information and Communication Technology)の活用による情報収集の迅速化などを実施している。また,(2)を具現化するために,組織の意思決定スピードの向上,BI(Business Intelligence)による意思決定支援,APS(Advanced Planning and Scheduling)による計画立案の迅速化などに取り組んでいる。これらの手法については,既に多くの読者が実践しているかと思われる。

 一方で,(3)の「実際にアクションを行う」,さらには「企業が素早くアクションを行う」ためには何が必要であろうか。実は,この点が一番実践するのが難しく,しかも製品やサービスの品質に大きく影響を与えているのだ。今回は「アジル経営と品質」について,(3)の視点を中心にしながら製造業を例にとって述べてみたい。

デマンドチェーンと品質

 今回取り上げる「品質」であるが,「明示または暗黙のニーズを満たす能力に関する,ある“もの”の特性の全体」(ISO・JISの定義)のように定義される“顧客の要求をどれだけ満たしているか”という広い意味ではなく,“設計段階で意図した通りに製品が作られているか”という点に限定することに注意いただきたい。

 その意味での品質は,例えば,「部材を100mmの長さに切断加工する」としたら,個々の加工された部材がなるべく100mmに近い(誤差が小さい)こと,お互いがなるべく同じ長さである(バラツキが小さい)こと,の2点で管理される。もちろん,長さだけが製品の品質を決定する要因ではなく,他にも素材や加工に関する様々な特性についてこのような品質が定義され,それらの総合的な結果として製品の品質が決定されるのは言うまでもない。

 では次に「企業が素早くアクションを行う」の中にある“アクション”には具体的にどのようなことがあるのだろうか。企業が商品を提供する活動は,デマンドチェーンとサプライチェーンの二つに大きく分けられる。前者は顧客のニーズを汲み取った製品を設計・開発する活動の連鎖であり,後者はその製品を製造・輸送・販売する活動の連鎖である。

 前者のデマンドチェーンでは,顧客ニーズの把握,要素技術や製品化の研究・開発,製品の設計,生産の準備といった工程を経て製品の発売に至る。これらに要する時間(Time to Market)が同業他社よりも短ければより多くの市場機会をつかめる。一連の工程において,その所要時間が品質に対して大きく影響を与える工程は,製品設計,および生産準備の段階である。

 図1は,自動車メーカーの設計変更の件数の推移を表したもの(1)。すこし古い例だが,1990年代の日米の自動車メーカーを比較した例だ。日本企業では販売の18カ月前には9割の設計変更(システム開発の“バグ出し”に相当する)が完了しているのに対し,米国企業は販売開始に向けて件数が増加しているのが分かる。1980年代から米国の各誌が発表するレポートにおいて,信頼性ランキングで日本車がトップ10を独占。この結果,日本車の販売が急増し,いわゆる貿易摩擦が日米間で問題になったが,そのころのデータである。

図1 自動車の設計・開発における設計変更件数の推移
図1 自動車の設計・開発における設計変更件数の推移

 当時の日本メーカーは48カ月という他国に比べて格段に短い開発期間で新型車をリリースしていた。開発力そのもののほかに,品質の高さが短い開発期間を実現していたことはこの図からも明らかである。各国メーカーは開発期間短縮のためにも,品質改善に努めて来たのである。