承前

鉄製大砲を契機にしたその後のイノベーション

 『テクノヘゲモニー』1)は、次のように主張する。

 「ある民族が誇り高く、高度な固有の文化を持っているとき、その民族は奢り高ぶり、あまり外部のものを真似ることができない。プライドが許さないからである。これに対して、民族的に混血を繰り返している、いわば流動的状態にある民族は、そのような硬直的な文化感がなく、したがって新規なアイデアが外部にあれば、貪欲にそれを摂取する傾向が高い」

 文化の果てる国、英国で鉄製大砲が誕生したとき、より高い文化を持っていた他のヨーロッパ諸国は、「奢り高ぶり、あまり外部のものを真似ることができな」かった可能性が高い。その結果、辺境の国である英国の突然のイノベーションの後塵を拝したにちがいない。

 以下、この鉄製大砲を契機にして19世紀前半までにおきた英国史を簡潔にまとめておこう。

(1) ヘンリー8世、鉄製大砲に挑戦し、その開発に成功する(1520-1540年)。
 貧乏国だった英国は、高価な青銅が作れず、しかたなく鉄で大砲を作ろうとした。ヘンリー8世は、ヨーロッパから優秀な鋳物職人を集め、1520-1540年ころまでに鋳鉄技術を確立(サセックスにおける鉄鋼業のルーツ)した。これによって鉄製大砲を大量生産して一躍、武器大国となる。

→ (1-1) 溶鉱炉の燃料として、石炭を使用するようになる(1650年-1720年)。
 鋳鉄をつくる溶鉱炉の増加によって森は急速に消滅した。木炭価格は1560年から1670年の110年間に4倍も値上がりする。そこで1650~1720年ころ製鉄用燃料として、安い石炭が使われるようになる。英国は、石炭を多量に埋蔵していたからだ。しかし石炭は木炭より悪質な排気ガスを出すため、たちまち空気が汚れて環境汚染が広がった。

→ (1-2) 蒸気機関を炭鉱の排水のために利用する(1710-1800年)。
 石炭を地中深くから掘っていると、多量の水が排出される。最初は、排水に馬が利用された。しかし1711年にトマス・ニューコメンが蒸気機関を発明。これが排水に利用される。しかしその効率は悪かった。ところがその後ジェームス・ワットは効率が4倍の蒸気機関を発明、1800年ころまでに各地の炭鉱で採用された。

19世紀はじめに作られケンブリッジで20世紀中葉まで使われていた蒸気機関。ケンブリッジ技術博物館所蔵
19世紀はじめに作られケンブリッジで20世紀中葉まで使われていた蒸気機関。ケンブリッジ技術博物館所蔵 (画像のクリックで拡大)

→ (1-3) 蒸気機関を綿織物産業に利用する
(産業革命1780-1840年)。

 1733年に英国で自動織機が発明されたあと、1769年にやはり英国で水力式紡績機が発明され、引っ張りに強い綿糸の大量生産が始まった。1785年に蒸気機関を動力にした力織機が開発されて、水力のないところでも綿織物工場ができるようになった。こうして都市への人口集中や労働者階級が発生して、産業革命(工業化)が起こった。