技のココロ

「桶」第1話 手で作ることの意味

  • 文:松井 亜芸子=フリーランス ライター,仲森 智博=編集委員 撮影:藤森 武
  • 2008/05/29 15:00

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湯豆腐の器に贅を尽くす

さわらで作った小判型の湯豆腐桶。「中川木工芸」では、初代の亀一の代より作り続けている看板商品のひとつだ。元々は亀地一が職人を務めていた京都の桶・樽の老舗「たる源」で高級料亭などに向けて作られていた品だが、亀一はたる源で腕を認められ、独立後もまったく同じものを作ることを許されたのだという。

 器の力としか言いようがない。この器に入るだけで、湯豆腐という実に簡素な食べ物がおそろしく風流なご馳走になるのだ。豆腐は、ふわふわと小判型の木桶の中で揺れ動き、ふうっとすくわれるのを待っている。桶の端には炭火を入れる部分が設けられており、湯豆腐が冷めることも、煮えて鬆(す)が入ることもなくという、絶妙な温度に保つ。その横にはつけ汁や熱燗を温めるための仕掛けもある。それを食せば、口の中を大豆の香りが満たし、そこになぜか懐かしい椹のほのかな香りが交じり合う。まあ、うまい。

現在ではお櫃を使う家庭も少なくなってしまったが、ご飯の余分な水分を吸ってくれるお櫃は、かつては食卓に欠かせないものだった。特にさわらはやさしい香りを醸し、ご飯の味を引き立てる。左は、中川周士オリジナルのクロームメッキのたがをはめたお櫃。洋食器と並べても違和感のない、現代の食卓にも合うお櫃である。

 この桶は、湯豆腐専用に作られた「湯豆腐桶」。三代続く桶屋の職人によって作られたものだ。京都の料亭や湯豆腐専門店などがこの桶の大口顧客だが、最近では個人で求める人も増えているという。どこかでその風流さを体験し、その虜になってしまう人が多いのだろう。しかし、決して手軽な価格ではない。さまざまなバリエーションがあるが、標準的なものでおよそ7万円。他の工房作では10万円以上のものもあるという。豆腐一丁の価格からすれば、それを味わう器としては相当に贅沢なものだ。

 湯豆腐桶だけではない。すし桶、ご飯のお櫃、風呂桶から小さなぐい飲みまで、多くの桶が伝統的な手仕事で作り続けられ、高価であるにもかかわらず、それを求める人がいまだに絶えないのである。

木桶を忘れた日本人

 そもそも木桶とは、短冊形の板を円筒形に並べた外側を、竹や金属の箍(たが)で締めた器のこと。半世紀もさかのぼれば、それは生活の必需品だった。湯桶に盥(たらい)に味噌桶と、一家にいくつも木桶があったものだ。

 その構造や製造方法は、湯豆腐桶もお櫃(ひつ)も湯桶も盥も基本的には変わらない。もちろん機械のない頃はすべて人の手で、自然の木を加工して作っていた。山野へ入って木を選んで切り出し、作りたい桶の種類に合わせて短冊形の板にしていく。それを必要な数だけ使って円筒状につなぎ合わせ、底板をはめ、箍で締めて留める。それを人が作り使っているうちに、もっとこうすれば使いやすくなる、もっと丈夫になるといったことに気付いていく。そのたびに改良が加えられ、細かい工夫を凝らした精度の高い桶が作られるようになっていったはずだ。人が作り出した、数多くの道具がそうであったように。

 こうして人が知恵と手間をかけて進化させていった「ものづくりの技」のエッセンスをうまく抽出し、機械などを利用して低コストで製品を生産できるようにしたのが、いわゆる工業技術である。最初は手の代用だったかもしれないが、今日ではLSIのように、とても人の手では作り出せないものまで大量に生産できるようになった。今、桶の代わりにどこの家庭にもあるのは、この工業技術によって安価に製造可能になったプラスチック製の湯桶であり、ステンレス製の盥である。

手でなくては作れない

ただ、木桶が絶滅したわけではない。世の風潮は自然派志向。暮らしに木の温もりを求める向きもあって、近所のスーパーマーケットにも木の風呂用品コーナーがあったり、台所用品の棚にお櫃が並んでいたりもする。けれど、これら身近で手に入るものの多くは、木製ながらも機械で作られた工業製品なのである。昔ながらに手で作られた桶は、料亭や高級旅館などを除けば、一般的にはほとんど目にすることもなくなってしまった。

 それでも、安価で機能的なプラスチックやステンレスの桶、盥に物足りず、さらには工業的手法で作られた木製桶にも満足できず、雑誌やインターネットで探してわざわざ手作りの桶を求める人たちがいる。熟練の職人技によってしか実現できないものがあるからである。その価値を重く受け止める人たちは、どんなに割高でも、どこに埋もれていても、それを見つけ出して求める。

 その「手でしか生み出せないもの」が何なのかは、くだんの湯豆腐桶を実際に使っている人でも明確には意識していないかもしれない。たぶん、「美しい」とか「存在感がある」といったほのかな印象でその「違い」を感知しているに過ぎないのだ。もちろん、美しいと感じるにはそれなりの理由がある。さらには、使い込んでみなければわからないよさもある。けれど、その正体を完成した製品から見透かすのは難しい。桶というもの、そして手技というものに対する理解を、もう少し深めていく必要があるだろう。

「たる源」の技を引き継ぐ中川家

 現在でも湯豆腐桶を作り続けている職人、中川周士は桶屋の三代目だ。祖父の中川亀一は、京都の老舗「たる源」で修行した職人である。

34年前に撮影された中川木工芸の工房の様子。左は初代・亀一61歳、右は二代・清司32歳の頃。この工房は清司が引き継いで、現在も仕事場としている。

左は現在の二代・清司66歳、右は三代・周士40歳。周士は、かつて父が祖父の横でそうしていたのとまったく同じように、5年前に独立するまで、この工房で日々技を磨いていた。

 たる源と言えば、京都で知らぬ人はいない桶屋の老舗(しにせ)であり、「京都随一」と目される職人集団である。江戸末期の創業当時には風呂桶や酒樽などを作っていたというが、その後、料理器や酒器、花器など、工芸的要素が強く、日常品より高い精度の繊細な技術を必要とする製品を旅館や料亭向けに作るようになっていった。

 亀一は10歳の頃、丁稚奉公でたる源に入り40年ほど勤めた後、たる源と同じ製品を作り続けることを許されて独立、京都・白川に工房『中川木工芸』を構えた。その技を引き継いだ二代目の清司も傑出した職人として知られ、2001年には重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されている。

 清司の長男である周士は、今年で40歳。生まれた時にはすでにプラスチックの湯桶の時代になっていた世代である。それでもやはり、父の傍らで幼い頃から家業を見てきたからか、迷うことなく跡を継いだ。2003年には父の工房から独立し、滋賀県大津市に『中川木工芸 比良工房』も構えた。

 周士の工房では、お櫃や湯桶といった定番もののほか、ぐいのみ、ちろり(熱燗をつける器)、湯豆腐桶など、古くから付き合いのある京都内の料亭などから注文を受けた器を多く手掛ける。そもそも中川木工芸は初代のころから、風呂桶や盥のような大きなものより、こうした小さな製品作りを得意としてきたのだという。祖父・亀一が作った製品を、そっくり同じように孫の周士が作ることもある。それどころか、「祖父が作った桶が修理で自分のところへ返ってくるなんていうこともあるんです」と笑う。

桶作りの12工程

タイトル
周士が2003年に開いた滋賀県大津市の「中川木工芸 比良工房」。思いのほかコンパクトな板張りの部屋に手入れの行き届いた道具類が壁一面に掛けられ、その下に座して仕事をするスタイルは父の工房と同じ。鉋屑は隅に作った溝へ落として掃除できるようになっている。

 「桶は、ほかの木工製品と比べて工程が多いんです」と周士は言う。確かに、代々伝えられてきたその製作工程をひとつひとつ数えてみると、材木屋から運ばれてきた大きな板が桶になるまでの工程数は、おおまかに分けても12もある。

  1. 1.「木取り」原木を輪切りにした材を割って桶の胴
    回りのパーツとなる「側板」を取る
  2. 2.「内丸削り」一枚一枚内側がゆるやかな丸みを
    帯びるように削る
  3. 3.「外丸削り」同様に外側を削る
  4. 4.「落ち」桶底に向かってすぼまっていく勾配を作るためにさらに側板一枚一枚の側面を削る
  5. 5.「正直」後でつなぎ合わせた時にすき間のないきれいな円になるように側面の角度を合わせる
  6. 6.「竹釘刺し」側面に小さな竹釘を刺す
  7. 7.「本建」円筒になるようにつなぎ合わせる
  8. 8.「中外削り」内側と外側を滑らかに整える
  9. 9.「アリ切り」底板を固定する溝を作る
  10. 10.「本箍入れ」箍を入れる
  11. 11.「底入れ」底板を作って入れる
  12. 12.「仕上げ」全体を磨いて仕上げる

 こうしてみると、工程の半分は胴回りのパーツとなる側板1枚1枚を、表面、裏面、側面と細かく加工していく作業に費やされることがわかる。このあたりが、手作りの木工製品として精度を高めるための要の部分になるに違いない。

 こうした桶作りの製法は、日本では江戸中期頃には、ほぼ現在のようなかたちにまで完成されていたといわれる。鎌倉時代に九州地方で出現し始め、室町時代には全国で見られるようになったという桶は、江戸時代に入ると、道具の発展によって技術が格段に進歩し、職人も増え、一般家庭にまで普及していった。桶作りの歴史は道具の発展の歴史と重なるのである。たしかに、12に分けられる桶作りの工程は、先へ進むごとに持ち替えられる道具の使い分けの工程ともいえる。それほど、桶職人の仕事場は、ありとあらゆるサイズの鉋、鉈、銑、割り鎌といった道具類で埋め尽くされている。

 「桶作りで大切なのは道具の手入れですね。いや、それより木の読み方かな」

 「木の読み方」とはいったい何なのだろうか。実はこの「技」こそが、手作り桶と工業製品の木製桶を隔てる重要なポイントにつながっているのだが。(文中敬称略)