これもよく言われることだが、高級車とか腕時計やバッグの高級ブランド品といった「工芸品的価値を色濃く残した工業製品」の分野では、イマイチ日本企業は欧州企業などに対抗し切れていない。けれど、「真の」と呼べる工芸品とそれを支える技は、日本にまだまだ多く残っている。しかもそれらは、価格競争力で圧倒的な強みを誇る工業製品と戦い、生き残ってきたものばかりである。

本当に知っているか

 その魅力、価値の源泉を解きほぐし、今という時代におけるありようをつぶさに検証してみたい。それが長年の念願だったのだが、やっとその一歩が踏み出せることになった。「技のココロ」という新連載で日本の技を徹底解剖しようということになったのである。その公式な目的を以前に書いた企画書の言葉を借りていうなら、次のようなことになる。

 日本の伝統的なものづくりの技を取り上げ、分析します。単なる表面的な紹介にとどまらず、多角的に「技」を分析することで、その本質を浮き彫りにすることを目的とします。同時に、日ごろは開発や経営の最前線で働いておられる読者の方々に、「人と仕事」を通じ文化/芸術の奥深き世界に触れていただくことも目指しています。分析の視点ですが、一つ目の切り口は、技自体の検証。経験則で完成度を上げてきた技には、合理性があるはずです。それを現代的な視点で分析します。二つ目の切り口は、「継承術」の検証。高度に組み上げられた技の体系を、どう代々伝えてきたかを解きほぐします。三つ目の切り口は、時代性の検証。時代の変化をどう乗り切ってきたかを振り返り、今後のあり方を探ります。

 それはそれとして、まず知ることこそ大事と、本音では思っている。「価値」や「技と技術」を論じる以前の問題として、そのことをちゃんと知っているのだろうかと自問すると不安になるのだ。まずはその姿をお伝えする。できれば、一緒に感動を伝えられればと思っている。子供の頃、大工さんが引くカンナから手品のように木のテープが飛び出していく光景を飽きもせずいつまでもヨダレを垂らして見ていた。今でも、職人さんが技を駆使して何かを作っているところを見せていただくとワクワクし、何だか「スゴイスゴイ」と思ってしまう。それって何?と考えることも重要だけど、とりあえずその感じを共有していただかなければ話は始まらない。

技が死んでゆく

 実は、あせっていたのである。映画や舞台の衣装デザインで活躍されているワダエミさんに「ここまで生き永らえてきた日本の技も、いまや瀕死の状況にある」と聞かされたからだ。例えば彼女がデザインし製作した映画『利休』(勅使河原宏監督、1989年)の衣装は、実物を見ると本当に見事なものだが、そのうちの相当数は、それができる職人さんがもういなくなって再製作不能になっているはずだという。

 工芸品を打ちのめした日本の工業製品だって、今は新興工業国の攻勢を浴びて苦境に立っているのである。職人技だって、ここまで生き延びてきたからといってその先が保証されているわけではない。だからこそ、それが健全に生き残っているうちに、それに迫っておきたい。「それがお前にできるのか」と問われれば不安にもなるのだが、意気込みだけは確かにあるつもりである。そこを買って、本コラムを措いてでも新連載のご愛読を賜ればと、伏してお願いする次第である。


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■応募受付は事前のご案内の通り2008年6月4日で終了いたしました。