技術と技の間の深い溝

 今さらながらここで技と技術の違いについて定義しておきたい。調べてみるといろいろな説明があるようだが、個人的には「技術と技の差は属人的なものかそうではないか」とすると何やらすっきりするように思う。つまり、技術は、本来はそれを保有する人から引っぺがして他の不特定多数に移転することができるものであり、技は人と不可分なので伝達が極めて困難なもの、と定義するのである。

 移転や普及が比較的容易簡単だから、技術は進化させやすい。移転した技術の上に個人が新たに発明、習得した技術を積み重ね、それを移転する。これを繰り返していくうちに、技術はどんどん進化していく。これに歩調を合わせ、技術をベースとする工業製品も進化する。機能が向上し、それがもはや不要になればどんどんコストが下がっていく。ビジネスという観点からいえば、この「進化が止まらない」「移転しやすい」ということこそが、競争をし烈にする悩ましい要件なのであるが。

 もう一方の技は、移転しにくい。つまり、「後姿を一所懸命追いかけてきたけど、一生かけても師には及ばなかった」などということが起き得る世界なのである。だから、技をベースとした工芸品は、時代とともに進化するとは限らない。技のせいばかりとはいえないが、工芸品としての陶器類は未だに桃山時代のものが最上との評価を受ける。近世に名工があらわれても「桃山陶器をよく学び、よく迫った」などと褒められたりする有様である。ミクロにみれば、時代を超えてぽちぽちと卓越した名工が出る。日本刀などでもそうだが、そうした名工がせっかく出ても、その子孫や弟子たちがその技をよく保持し得た例は多くない。

どう作ったか分からない

 そんなことを再認識させられることがあった。先日、懇意にしている古美術商の店をのぞいた際にある漆芸作家さんと鉢合わせをしたのだが、「いや、柴田是真の作品を見せていただけるということで出かけてきたんです」とのこと。なるほど、目の前には素晴らしい蒔絵の硯箱が置かれている。ちなみに、是真は幕末明治期に活躍した蒔絵の名工。その作品は世界的に極めて高い評価を得ており、海外にも多くのコレクターがいるらしい。

 「是真かぁ、これだけの作品だったら1千万円でも買えないだろうなぁ」と俗な考えをめぐらせている私の隣で、漆芸作家さんがしきりにため息をついている。「いやーわからない」という。ある部分を一生懸命ルーペで覗き込んでいるのだが、どうやったらこんなことができるのか、さっぱり分からないのだと。蒔絵の技は綿々と今日まで受け継がれているはずなのだが、やはり名工でないとできないということがあるらしい。

 「そもそもね、是真が得意とした青海波塗(櫛目状のヘラで塗った漆を掻き取って波模様を描く手法)もよくわからないんです。いろいろ漆を調合して試してはみるんですが、なかなかあの感じにならなくて。いったい、どうやったんでしょうね」