手でやった方が楽なのに

 その意を強くするものに出会った。「バウハウス・デッサウ展」での、ある展示である。ちなみにバウハウス(Bauhaus)とは、1919年にドイツで設立された美術工芸学校。ナチスによって1933年には閉校させられているので存続期間は14年であるが、「モダニズムの概念と方法論は、この時期この場所で生み出された」といっても過言でないほどの成果を残し、後世に絶大な影響を及ぼした。

 その代表的作品の一つに「デッサウのバウハウス校舎」があり、現在は世界遺産に指定されているようだ。展覧会では、その校舎を建設する様子を記録した映画がビデオ放映されていた。「よくこんな資料が残っていたなぁ」と思って何気なく見ていると、何だか鉄板でできた柱材のようなものがベルトコンベアみたいなものの上でダーっと移動してきて、それを専用ツールでもって加工している。その次にはこれまた専用のコンクリートを流し込む仕掛けが出動してきて、さらにはそれをならす装置、コンクリートをペタペタ叩いて空気を抜く(?)装置などが次々に登場してきた。こうして、まったくライン生産の量産工場のような方法で、その柱材とおぼしきパーツを作っているのである。

 これにはかなり驚いた。完成する校舎は、工業の時代にふさわしいモダニズムの極地のような建築物なのだが、その作り方もモダニズムというか、工業そのものだったのだ。ただ、無理やり「工業化」している風もある。いちいち専用ツールを使うのがまどろっこしくて、どうも効率がいいようには見えないのだ。日本で同じ設計図を元に同じ建築物を建てることになったら、たぶん、左官さんとか大工さんとかが終結して職人技を駆使し、もっと短時間に手際よく完成させてしまうのではないか。

 同じようなことがバウハウスでデザインされたランプでもあったようだ。それは、金属性の円柱の上に球状のシェードを載せた卓上ランプで、そのパーツといい完成した姿といい、いかにも量産性が高そうなデザインにみえる。けれど当時の加工技術ではかえってこうしたものは作りにくく、非常にコスト高になるものだったのだという。

テクノロジーもスキルも技術

 それでもあえてそのようにしたのは、一つにはその目的が、その時点での効率とか生産性にあるのではなく、未来を見据えた方法論の探求にあったからなのではないかと思う。あの建設手法も、試みであれば遠回りであってもかまわない。だからあえて効率を度外視し、「職人芸」を徹底排除することにしたのではないか。つまり、「すべてツールを使って工場の流れ作業のように作る」ことの意味は、「効率や完成度より誰にでも作れるようにすることを優先する」ことにあったのではないかと思うのである。

 「こうやって彼らはスキルの世界と訣別し、テクノロジーの世界を確立させたのだ」。この映像をみながら、そんなことを考えた。その一方で、どうも日本はこのスキルとテクノロジーというものを明確に区別せず、その領域をあいまいにしながら共生させてきたのではないかと思う。そのせいか、スキルもテクノロジーも日本語では同じく「技術」と呼ぶ。