人も商品も生かす絶妙な「見る目」

 中尾は菅谷に「アイデアを特許にすること」を徹底的に教え込んだ。入社間もない菅谷にも「それは特許になるよ」とか「明細書にはこういうように書いたらよい」と懇切丁寧に指導した。菅谷が少し経験を積んだころを見計らい、中尾はより高度な内容を投げかけるようにした。「こんなことを考えているのだが、もう少し突っ込んで特許にしてくれ」、「何かこんなことを考えられないか」といった具合である。こうして菅谷が潜在的に持つ創造性をうまく引き出していったのだ。

 中尾のアイデア創出手法は、豊かな経験に基づくアナロジー(類似性)発想によることが多い。カラーテレビのフライバックトランス(電圧を発生させる変圧器でブラウン管に必要)は好例である。各メーカーとも白黒テレビの延長上の設計ルールで製造したため、発煙発火事故が多発し大問題になった。その時中尾の頭には電力用コンデンサの絶縁・油含浸技術が浮かんだ。そして電力コンデンサとテレビを結合させ、誰もが考え付かなかった密閉型フライバックトランスの開発に成功している。こうして積み上げた特許・実用新案の取得権利数は199件、菅谷もまた200件を超える権利を取得した。

 家庭用VTRに対する中尾のポリシーは、とにかく小さくすることだった。そうして行き着いたのがカートリッジ・タイプのVTRである。箱の中にリールを1個だけ入れて、そこからテープをスルスルと引き出し機械に巻き込むというものだ。この方式は電子機械工業会(現JEITA)の統一規格にも採用されたが、市場の主流にはならなかった。記録時間が30分と短く、テープを全部巻き戻さないとカートリッジを引き出せないからだ。

 この方式に中尾が固執した理由は何だろうか。菅谷が2時間VTR(白黒)を世界に先駆け完成させているのに、である。これは憶測であるが、中尾は「市場は長時間録画より教育や趣味・娯楽分野のビデオ・ソフトを楽しむ商品を待ち望んでいる。ならば時間を伸ばすよりテープと本体を小型化することが先決」と判断したのだろう。RCAのVD(Video Disc)やCBSのEVR(Electric Video Recorder)などの再生機がライバルとして喧伝されていたことも無関係ではない。結局カートリッジVTRの事業化は失敗したが、「小さくする」というコンセプトは貫かれ、VTRの小型化要素技術が確立された。回り道したものの、これがVHS事業の早期立ち上げに大きく貢献したことは間違いない(写真1)。

写真1●カートリッジ式VTR(左)とVHS国内向け1号モデル(大脇禎弐「私が歩いた松下のビデオ史」=平成8年=より)
写真1●カートリッジ式VTR(左)とVHS国内向け1号モデル
(大脇禎弐「私が歩いた松下のビデオ史」=平成8年=より)

死の間際まで技術者として生きる