技術責任者として経営に関与

 1935(昭和10)年12月、事業部制を発展させた分社制が発足し、中尾はラジオ・部品を担当する松下無線(株)の専務取締役に就任した。すべての分社社長を幸之助が兼務したので、中尾が実質的な経営責任者である。

 その翌年、中尾は欧米10カ国の視察旅行に出かけた。見聞を広めることに加え、欧州の雄・フィリップス社と手を組むという大きな目的があった。当時、真空管の国内市場はGEと提携関係にある東京電気(現東芝)がほぼ独占していた。何とかこれに対抗できるパートナーが欲しかったのである。フィリップス社と何とか技術提携を模索したが、この計画は相手側の事情から実現しなかった。しかしこの時お互いの存在を認識し合えたことが、17年後の両社技術提携の布石となったことは間違いない(図1)。

 図1●中尾哲二郎年譜(2)-1929(昭和4)年から1936(昭和11)年まで
図1●中尾哲二郎年譜(2)-1929(昭和4)年から1936(昭和11)年まで

―― 次回へ続く ――