「演技心覚え」という一文は1963年12月1日、朝日新聞に掲載された。当時、山口氏は「季節風」と題したコラムを朝日新聞に26回書いており、「演技心覚え」はその中の一つである。この連載コラムは、山口氏が感銘を受けた文章を雑誌や書籍から引用して紹介するものであった。1回当たりの分は非常に短く、冒頭にその文章を選んだ理由が手短に記され、その後に引用文が掲載された。

 26回中、「演技心覚え」の回は最も山口氏の文章が短く、ほとんどが引用で占められている。それ以外の回には引用の後、山口氏の締めの文章が入っていたがこの回にはない。山口氏は冒頭に、「戦前にあった前進座の機関誌が再刊された。第一号では中村翫右衛門の『おもちゃ箱』という随筆がおもしろい。(中略)翫右衛門の古い日記にあったという自戒のための『演技心覚え』をぬき書きしてみる」とだけ書き、以下に引用する十一の文章を紹介している。

一、俳優は、いつでもこれでよいという満足を感じずに一生を過ごすものだ。
一、批評は大切なものだが、善悪を見極めずにあまりに批評に動かされては自分を見失うことになる。
一、俳優はいつまでも若く、感激性を保持せねばならない。でないと舞台の感激・役の感激にひたれず、合理主義的演技に陥ってしまう。
一、俳優は絶対の確信と、限りない反省と、この裏表を絶えず忘れてはならない。
一、巧くやろうと思うな、唯全力をつくせ。
一、人の真似をするな、拙くとも自ら創り出せ。
一、行詰まれ、打破れ!行詰まれ!!そして打破れ。
一、昨日よくできても昨日のように演ろうと思うな、今日は今日の気もちで演れ。
一、稽古中は臆病に、舞台に出たら自信をもて。
一、早く言う時は、心もちゆっくりしゃべれ。
一、修業はこれからだ。

 先に「『技術者の心得として読み替えられる』と思ったので、手帳に書いておいた」と書いた。確かにTech-On!の題材頁に書いてある。さらに筆者は以上の全文を手帳の別な頁に転記し、時折眺めている。「記者の心得」として読めるからである。山口氏は「おもしろい」としか書いていないが、翫右衛門の心得が俳優だけではなく、作家にも、いや、あらゆる人に通じると思ったから、紙幅の許す限り抜き書きしたのであろう。

 芝居における俳優の演技は、上演中は確かに目の前にあるものの終演後は消えてしまう。技術の進展により、芝居を動画のまま記録できるようになったが、映画やテレビで見る芝居は劇場で見る芝居とは別物である。本コラムの主旨文に、「実用を優先する技術を実とすると、仮説や理論を優先する科学は虚と位置付けられる。(中略)現実の課題解決に関わる政治や経済の諸活動を実とするなら、理想に関わる宗教や芸術、哲学や思想は虚である」と書いた。芝居は虚の典型の一つであり、中村翫右衛門の「演技心覚え」は虚の作法と言える。

 作家や記者の仕事は文章を残すものの、やはり虚であるから、演技心覚えを「作家心覚え」「記者心覚え」と読み替えて服膺することができる。念のためお断りしておくと、本稿で使っている虚や実は優劣を意味しない。俳優や作家より政治家や経営者の方が偉いということはない。もちろん、政治家や経営者より俳優や作家の方が偉いということもない。