安井氏が言う「マラソンの折り返し点」とは,人間の活動が自然の許容量を超えてしまったことに気づいたかどうか,を指しているようです。地球温暖化はその一つの結果にすぎません。それと同時に(あるいはその前に),エネルギーや食料,水などあらゆる生活資源が不足する時代が訪れる可能性があります。以下はアメリカの環境学者,Lester Brownの本の中の一節です。

「中国経済が年間8%の割合で成長を続けると,2031年までに1人当たりの所得は2004年のアメリカと同水準になる。さらに2031年には14億5000万人に達するこの裕福な中国の人々が,2004年のアメリカ人とほぼ同じ程度に消費すると仮定すれば,目をみはるばかりの答えが出る。(以下は要約)
■2031年の中国の穀物消費量は,現在の世界全体の穀物生産量の約2/3に達する。
■3億500万トンの紙が必要になり,これは,現在の世界全体の生産量の2倍に相当する。
■中国では1日当たり9900万バレルの石油が消費される。現在の世界の石油生産量は日産8400万バレルで,これ以上の増産はまずないと言われている。
■中国が今日のアメリカのように4人に3台のクルマを所有するようになれば,国全体では11億台になり,これは現在の世界の自動車保有台数の8億台を大幅に超える。これだけの数の車のために一般道路や幹線道路や駐車場をつくるとしたら,中国の主食のコメの作付面積とほぼ同じ面積を舗装しなくてはならなくなる。」(「レスター・ブラウン プランB 2.0――エコ・エコノミーをめざして」,レスター・ブラウン,ワールドウォッチジャパン,2006年)

イノベーションとライフスタイルの多様化

 環境問題の話をしていると,どうもこのような重苦しい話題に向かってしまいますが,このサイトではもう少し技術的なイノベーションに期待をかけて,将来の夢を語っていきたいと思っています。ただし,技術だけでは決して解決しない問題も多いので,社会の仕組みやライフスタイルの変化と,イノベーションの相互作用などについても触れていけたらと思います。

 詳しくは次回以降に書くつもりですが,私たちは今ちょうど,100年に一度の自動車技術の変革期に遭遇しています(エンジン駆動から電気駆動へ)。この先,10年,20年の間に,自動車は目を見張る進化を遂げるでしょう。それらを同時代に見ていけるのは,とても幸運な気がします。

 ただ,予感としてあるのは,これからの時代の自動車は,電気自動車とか燃料電池車とか,一言でくくれるものではなく,もっと多種多様なものに分岐していくように思われます。将来の環境対応車に関する自動車メーカーのプレゼンテーション等を聞いていると,少しずつそのような主張が増えてきています。

 もしかすると燃料電池車の実用化(量産化)が相当遅れそうなため,急きょ代替案をあれこれ探しているせいなのかもしれません。ハイブリッド車,プラグイン・ハイブリッド車,ディーゼル車,バイオ燃料車,燃料電池車,水素エンジン車などが並列的に研究されており,さらに細部ではシリーズ方式ハイブリッド車なども検討されています。また,4つのタイヤで4人が乗る箱形のクルマ以外に,2人乗りや1人乗りのバイクのようなクルマも研究されています。アルミやプラスチックのボディももちろんあります。

 このように多種多様な環境対応車が提案されるのは,100年続いてきたエンジン駆動の技術にくらべ,どの環境技術にも欠点があるからです。しかし,そのような技術でもうまく使いこなしていかなくては,化石燃料なしの環境社会は生き延びていけないのです。一方,私たちのライフスタイルも,これからはますます多様化して行きます。通勤に4人乗りのセダンを使いたくないと思う人が増えてくれば,1人乗り,2人乗りのクルマの需要が発生し,それに適した環境技術が求められます。いずれ,その中で,社会のニーズにマッチしたものが生き残っていきます。自動車メーカーは「不足の時代」に突入するにあたり,できるだけ「種」の多様化を進め,来たるべき自然淘汰の嵐に備えているかのようです。大量生産で箱形のガソリン車しか作れない20世紀型メーカーは,会社そのものが淘汰されてしまうでしょう。

 環境問題に関しては,大きな見地からの考察ももちろん必要でしょうが,このサイトのように一つひとつの技術ニュースの積み重ねの中から,未来を探るというのもおもしろい作業ではないかと思っています。読者の皆さんの所で,「環境社会を作るイノベーション」というこの「グリーン・テクノロジー」サイトのテーマに合った新しい技術や製品ができたときには,ぜひ情報をお寄せいただければと思います。お待ちしています。