実績とヴィジョン

 第4の視点として触れたいのが、ヴィジョンの力である。

 もう一度地球温暖化問題にもどる。改めて言うまでもなく温暖化への対応は社会そのものの変革を要求する。パラダイムシフトが不可欠なのだ。なぜならば温暖化を引き起こした経済のあり方、社会のあり方を変えねば温暖化ガスは減らせないからである。根底から国のあり方を変えていかねばならない。

 それは世界全体が関わる問題である。1国だけが変わっても効果はないからだ。すなわち、温暖化問題を議論することは世界を相手に「これからはどんな生き方がいいのか」を問うことである。そのとき重要になるのが、いかにして国際世論を味方につけるのかということだ。国際世論に支持される経済のあり方、社会のあり方こそが21世紀の世界をリードしていくことになるのである。

 ポスト京都を議論する場は、いわば、国際世論を大向こうにして各国が自説を展開する弁論大会だといってもよい。そこで展開される論理によって多くの国々を味方につけるものこそが勝者になる。ところが日本は、この点で世界に比べ甚だ弱いと思わざるを得ない。なぜなればいつものことながら日本の主張は実績が中心だからである。

 そこで主張されることは例えばこうである。我々の省エネ技術は世界一だ。我々の環境技術は世界一だ。その我々の、これまでの努力が正当に評価されないのはおかしい…。

 確かに日本の主張に嘘はない。間違いはないのである。でも、世界はその話だけでは動かない。前述の通り、温暖化対策は社会を変える国民運動的要素が極めて強い。さまざまなレベルの多くの人々を説き伏せ、ある方向へ導いていく作業である。そのとき不可欠なのは、将来に向かってのヴィジョンであろう。それなしには、人は動かない。

 実績を誇ることは過去を誇ること。一方、ヴィジョンを語ることは将来を語ることだ。過去を誇るとき、人は過去を振り返る。ヴィジョンの旗を立てるとき人は将来を見る。