みんな興味があるのだろう。もちろん私にもある。特に京都の「ビジネスのありよう」については強烈な興味をもっており、その関連テーマで折々に思考をめぐらせてきた。その思いを掻き立てるのは、「京都企業の業績がいいから」などという直接的な理由ではない。あえて一言で表現すれば、それは「違和感」なのである。京都企業の業績が云々という話も、その違和感の結果に過ぎないのだと思う。

 古美術品の収集癖があるせいで、学生のころから実に京都にはよく行った。いろいろな店を覗き、ときには買い物もし、食事などもする。そのうち、何人かの店主などとも親しく話をする間柄にもなってくる。こうして京都を知れば知るほど、違和感が増していった。私たちとは何かが違う。たとえば東京とは、何かが決定的に違うと感じざるを得ないのである。

 その、東京に住む自分からすれば異質な、「えらく京都的」というものの正体を見極めたいと、京都の企業や商店などを取材して回ったこともある。そのときターゲットとして選んだ事業体の一つが「一澤帆布」だった。

やるせないほど京都的

 兄弟でのブランド争奪戦を演じたりしたものだから、それを機に知名度が一挙に上がったが、そもそもこの事件のずっと前から、一澤帆布は根強い人気を誇るかばんメーカーだった。もちろんかばんは京都の特産品でも何でもない。つまり「もの」としては全然京都的なではないのだが、ブランドというか、ものを取り巻くすべての仕組みというか、これが実にやるせないほどに京都的なのである。

 最たる例が販売方法だろう。事件以前の状況でいえば、基本的には京都知恩院前にある直営店でしか手に入らない。その1軒だけの直営店も平日のみの営業で、夕方17時になると閉まってしまう。地方の顧客向けに通信販売も受け付けてはいるが、納品まで2~3カ月も待たなければならない。何とも敷居が高いのだが、それでも店頭には入店待の列が絶えないのである。

 東京的な企業経営の発想でいえば、人気のある今こそが企業成長の好機である。それを阻害する要因が生産量にあるのなら、製造部門を増強すればよい。それが難しければ、アウトソーシングを検討するのもいいだろう。とにかくそのボトルネックを解消する。そのうえで、販売チャネルを拡大したいところだ。東京はもちろん、海外へも販路を開く。パリなんかに進出すれば、話題性も抜群だろう。いや、今ならアジア展開か・・・。

 ところが一澤帆布では、そんな無粋なことは一切しない。経営者が変わったので今後のことはわからないけれど、当時はそんな気配は微塵もなかった。その真意を知るべく、当時の代表取締役、現在は兄に会社を追われ新たに信三郎帆布を立ち上げている一澤信三郎氏に話をうかがったことがある。なぜなのか。

「いや、別に理由というものがあるわけでもないんやけど、まあ、そんな気が起きんということでしょうかねぇ。そもそも私には、大きいとか強いということがそれほどエライこととは、どうしても思えんのです」

社訓は「会社を大きくしないこと」

 言われてみれば、ものすごく変わったことではない。けれど、「企業の成長と競争力強化を支援するのが経営誌の役割」などと教え込まれ、そう素直に信じていた自分からすれば、「そのどちらにもあまり興味がない」という信三郎氏の答は、ものすごく新鮮だった。目から鱗が少なくとも10枚は落ちたと思う。

 ダメ押しのように、こんな話もうかがった。「父がよう言うてましたわ。立つから倒れるんや、最初から這うてたらええんやと」。こんなビジネスに関する理念は、きっと「一澤流」ではなく「京都流」なのだろう。そう感じるのは、ほかでも京都の店や会社に関して、同じようなエピソードをいくつも聞いたからである。例えばある会社では、創業者が子息に経営を譲る際に社訓を定め、これを遵守するよう求めたのだが、その中に「現在よりも会社の規模を大きくしないこと」という一条があるのだという。