前回書いたように,『日経ものづくり』の3月号の特集「できる中小企業 苦悩力が生むR&D」の取材チームに参加した筆者は,研究開発に熱心な中小企業の社長さんや識者の方々をインタビューさせていただいた。その識者の一人としてお話を伺ったのが,コンサルティング会社であるシステム・インテグレーション社長の多喜義彦氏である。日経ものづくりの読者の方なら「開発の鉄人」としておなじみの,中小企業の新製品開発や特許戦略の指導に定評のあるコンサルタントである。

 筆者にとって多喜氏とこうして面と向かってお話しするのは,ほぼ10年ぶりだが,風貌も,雰囲気も,そして言っていることも,基本は変わらないと思った。ただ,10年前には気がつかなかったもののなんとなく感じていたことが,今回明確になったようだった。それは,「肩の力を抜いて自由度を高めて仕事しましょう」,という考え方または人生観である。

10年前の独演会

 多喜氏のお話を聞きながら10年前のことが思い出された。ある年の年末のことだった。『日経メカニカル』という日経ものづくりの前身であった雑誌の編集長で,収支の管理などもしていた筆者は,予算未達のまま年が押し迫ってきて追い詰められていた。そんな時,たまたま特許関連特集の取材から帰ってきたO記者(現日経ものづくり誌の副編集長)が「話がとてつもなく面白いコンサルタントがいる」と話しているのを聞き,急遽セミナーの講師をお願いすることにしたのだった。O記者が「何時間聞いても飽きない」と太鼓判を押したこともあり,丸一日多喜氏の独演会にしようという試みだった。

 しかし,セミナー当日の朝,筆者は重苦しい気分で会場に向かった。筆者の勝手な皮算用では200人くらい集めて起死回生にするつもりが,30数人しか集まらなかったのである。筆者の決定のタイミングが悪く,十分な告知の時間がとれなかったことが原因だ。多喜氏に集客の不調を謝ると,「まあ,いいじゃないですか。今日はアットホームな感じでいきましょう」とあっかけらかんとされていたのを思い出す。

 その言葉に惹かれて,少し話を聴いていこうと思った。実は当初,多喜氏に挨拶したら後はO記者たちスタッフに任せて急いで会社に戻り,年内に間に合う別の増収策ができないかどうか検討するつもりだった。長机の両端にゆったりと座る聴講者の方々をながめがら,筆者は片隅の机に座った。

 最初は「これからどうしよう」と別の増収策のことを考えながら気もそぞろになっていたのが,冗談を交えながらも熱弁をふるう多喜氏の話術に引き込まれていった。確かに面白い。多喜氏がケーススタディで紹介したクライアントたちが成功したり,時にはしくじったり,笑ったり泣いたりといった人間模様がほほえましく,時にはホロリとさせる。会場を笑い声が包んだ。筆者も久しぶりに笑ったような気がした。講師と聴講者が一体となった雰囲気の中で,気がついてみると,結局筆者も丸1日セミナー会場にいたのである。少しずつ肩の力が抜け,こわばっていた関節が緩んでいくような気分であった。

寒風吹く永田町の夜道

 講演が終わり,聴講者の方々をお送りし,多喜氏にもお礼を言ってお別れし,会場を片付け,回収したアンケートに目を通した。ほぼ全員が「とても参考になった」だった。スタッフ全員で会場を出て,陽も落ち,寒風吹く中,麹町の会場から永田町の会社まで夜道を歩いた。誰かが言った。「多喜さんの話本当に面白かったですよね。聴講者も喜んでましたよ」。それを聞いて筆者は,熱心に聴いてくれた聴講者を思い出しながらある決心をしたのだった。「明日,どんなに怒られても今の状況を正直に上司に報告しよう。そして,もう今年は焦るのは止めて,皆で長期的な抜本策を考えよう」と---。