コスト主義の耐えられない軽さ
絵を買った。狩野融川という人が描いたものの掛軸である。画面の下方には小さな藻塩焼の作業小屋があり、淡く煙が上がっている。その横にはこれまた小さな1本の桜、その横は浜らしく、おだやかな波が見逃してしまいそうな淡さで描かれている。画面やや上方向にはこれも淡く遠山が描かれ、その下方には一艘の船が描かれているので、その間の大きな空白はすべて海、遠山より上の大きな空白はすべて空なのだろう。
言ってしまえば、ほとんどが空白の紙である。そこに小さく淡い桜や小屋、船などのパーツを配し、全体の空間を支配する春の空気を表す。日本の水墨画ではよく「空気を描く」というが、まさしくそれなのである。有名な長谷川等伯筆の国宝『松林図屏風』も同じ。大胆に余白を残しながら霧中の松木立を描いているのだが、やはり「表現の主題は松そのものではなく、そこに漂う霧なのだ」というのが専門家の解釈である。
国宝の方はともかく、私の買い物は3000円。「またまたぁ、粗悪なニセモノなんでしょ」と思われるかもしれないが、そうでもない。「では、とんでもない掘り出しか」。それもあまり当たっていない。「じゃあ、その作者が無名なんだろ」と勘繰りたくなるだろうが、それも違う。融川は江戸時代の奥絵師(幕府お抱えの絵師)で、葛飾北斎の師としても知られる。有名な証拠に、小説の題材にもなっている。私もある短編集でその画家の話を読んだことがあるのだが、ちょっと違うのをネットでも見つけた。国枝 史郎の『北斎と幽霊』という短編なのだが、青空文庫で読めるのでご興味のある方はこちらまで。もちろん無料である。
お客さんが望むから
それは、融川が幕府の注文で屏風絵を描いたときのことである。彼はそれに渾身の精力を注ぎ込み、一大傑作をものにする。それを時の老中に見せるわけだが、その絵は、私が買った作品にも似てきわめて淡白なものだったらしく、老中は「もっと濃く金を蒔いてはどうか」などとアドバイスをする。普通の御用絵師なら「左様でございますね。さすが慧眼」などとおべっかを言いつつ引き下がるのだが、融川は「それは素人考え。これ以上書き足す必要はない」と突っぱねた。けれど、それで丸く収まるわけもない。お家の存続を願い、融川は切腹して果てる。小説では、この恨みを弟子の葛飾北斎が晴らすのだが、それにしても絵師ながら壮絶な生き様である。
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