何をするにも意志の力即ち精神力が一番大切であるから、強固な精神力を養う事を絶えず考えなくてはいけない。そして努力しなくてはいけない。(中略)
 精神力を養う事は、何も大した事ではない。日常の生活で己れの我儘を封じる事が出来れば其の目的は半ば達せられる。
 「朝眠くも時間が来たらガバと跳ね起きる」只々其の事だけでも目的の一部が達せられる。父は(中略)一日だって何時迄も寝て居ると云う様な我が儘はしなかった。其の外何でもキチンキチンと一分も間違いない様に物事をやってのけたが、簡単の様であって中々出来ないものだと思うがそれをやったのだ」。

 『硫黄島からの手紙』(栗林忠道著、文藝春秋)に収録されている栗林忠道中将の手紙の中から、長男の太郎氏に宛てた一部を引用した。太平洋戦争有数の激戦地となった硫黄島の指揮官として赴任して以来、栗林中将は日本に残した家族に相当数の手紙を書いていた。大半は義井夫人と次女のたか子さんに宛てたもので、愛情あふれる気遣いが至る所に表現されている。最期まで厳しく指揮を執った軍人の姿と、家族を気遣う内容の手紙には大きな隔たりがあり、それが後世の我々に強い印象を与えるのに対し、長男太郎氏向けの手紙はいずれも厳しい文面になっている。

 夫人や次女に送った手紙を見ると栗林中将は細かい事に気付く人であったと知れるが、長男に対しても事細かに苦言を呈している。「強く正しく人から十分信用せらるる人間と」なれ、まではよいとして、「読み物は十分選択しないといけない。煙草は絶対に止めたがよい」とか「酒は勿論飲むまいが将来出来るだけ飲まぬがよい」、さらには「お身の手紙は表だけ一行置きに書いているが、紙の節約上よくない」とまで書いている。一連の苦言を読み、「精神力を養う事は、何も大した事ではない。日常の生活で己れの我儘を封じる事が出来れば其の目的は半ば達せられる」という下りに触れると、硫黄島の守備隊が栗林中将を「やかまし屋」と呼ぶ一方、栗林に感服し、その厳しい指示に従った所以が何となくではあるが分かってくる。

 硫黄島戦に関する連載の第4回で触れたように、元海兵隊員のロバート・レッキー氏は『日本軍強し』という著書で次のように栗林中将を描写した。「栗林は無愛想な、頑固な冷たい月のような顔をしたずんぐりした男で、慈悲のないエネルギーによって自分の決心を強行した。(中略)部下は彼をやかまし屋と呼んだ。しかし彼は潔癖家であった。彼は部下に死守を命じた。まず古い武士道に似た誓いをさせた」(『闘魂 硫黄島 小笠原兵団参謀の回想』、堀江芳孝著、光人社NF文庫より引用)。