技術者が活躍する範囲は,今も昔も国内だけには留まらない。ただ近年は,グローバル企業にとってすでに日本は市場の一つに過ぎなくなっており,そういった意味で開発拠点を日本以外に設ける企業が徐々に増えてきた。技術者もどんどん海外の開発拠点に行く時代だ。

 さらに日本の優秀な技術者は,海外企業からとってみると,のどから手が出るほど獲得したい存在だ。日本の得意とする材料に関して知識を持った技術者であれば,なおさらだろう。今回はそんな,材料メーカーに勤務していた技術者の話を紹介したい。

不満がないように思えたのだが…

 彼は電子デバイスの材料メーカーに勤務している技術者だった。当時,30歳台後半で,技術者としては丁度油の乗った時。しかも,自分である程度は開発の方向性を決定できる立場にあったので,外から見ると何の不満も抱えていないように思えた。

 前述したように,日本の材料技術者,中でも彼が得意とする電子デバイス系の材料技術者は,世界的に貴重な存在。そんな彼をある海外メーカーが注目して,そして「彼を是非獲得してほしい」と,私に依頼をかけてきたのだ。

 それまで私は,あまり海外メーカーに対して人材を紹介していなかった。というのも,海外メーカーはドラスチックに人を解雇するなど,先が見えない不安が付きまとう。このため,日本人ではその体質にフィットする人が少なく,転職に関してもより慎重に進めなくてはならない。彼はまだ若い故に,さほど問題を抱えていないように見えたので,面談すら断るだろうと思っていた,

 そんなような状況で,彼にコンタクトしてみると,意外にも話を聞いてみたいとの返事が返ってきた。そこで,彼の真意を確かめるために,まず私が会ってみることにした。

 実際に会ってみると,なかなか気さくな好青年だった。このため,私は何故転職など考えるのか,一層不思議に思ってしまったのだが,話を聞いていく中でだんだん彼の悩みが分かってきた。

 彼は高等専門学校を卒業していた。当時の日本は,まだまだ学歴社会の風潮が強く,また彼の所属している会社には学閥などもあった。大学の銘柄,学歴などによって明確な差別が残っていたのだ。

独立へのステップとして海外へ

 彼は海外メーカーが注目するほどの実力者だった。しかし,いくら実力があっても,社内で地位を高めるには限界があったのだろう。彼にとって,それは受け入れがたい屈辱だったに違いない。だからこそ,それを突破する手段として海外への転職,という高いハードルを越える決意をさせたようだ。紹介先の海外メーカーは,まったく学歴を重視しない,というのも,彼のハードル越えを後押しした。

 彼に将来展望を聞いてみると,いずれ自分で会社を起こしたいと言う希望を持っていることが分かった。独立へのステップを踏むための修練として海外のメーカーに転職することは,国内のメーカーに転職するよりも,彼にとっては有意義であろうと私も考えた。そして,彼に転職を積極的に勧めることにし,彼もそれを決意した。

 海外メーカーに技術者を紹介するたびに私がジレンマに陥るのは,果たして日本のために正しいのだろうかということだ。事実,今回の話においても,彼が抜けた材料メーカーの開発現場は,しばらく混乱したという。彼の実力を,改めて思い知らされたというわけだ。

 もちろん,地位や給料だけで技術者が気持ちよく働くわけではない。しかし,実力を正当に評価できなければ,他社に転職してしまうし,今回の話のように海外メーカーに行くことも考えられる。大分,日本のメーカーでも学歴社会の考えは変わってきているようではあるが,人事担当者にはいま一度見直してほしい点である。

 さて,その後の彼についてだが,風の便りで海外メーカーは2年ほどで退職し,友人と会社を作ったようだとのことだ。転職するより,創業することの方が遥かにハードルは高い。そのことを,彼は今ころ実感しているだろう。もし彼に会うことがあれば,今度は彼の会社の発展に力を貸したいと考えているが,まだ再会を果たしていない。