お前なんか絶対に合格せんぞ

 経営をテーマに取材を続けておられるジャーナリストのルーシー・クラフト氏(関連記事)は、こう話しておられた。「企業が失敗するケースの多くはリーダーのせい。逆に成功したケースをみると、実はリーダーではなくフォロワー(部下)が欠かせない役割を果たしている。つまり、企業が失敗せず成功するために必要なのは、上司が間違ったときに指摘できるフォロワーの存在なのです」。それを妨げるのが、特定ポストへの権限の集中と、それによって引き起こされる「イエスマンの増殖」なのか。

 そういえば昔、こんな話をどこかで読んだことがある。作家の藤本義一氏が若いころ、あるラジオ番組でゲストに故・松下幸之助氏を呼んだことがあったらしい。その番組内で藤本氏は「メーカーが次々に新製品を出して買い替えさせようするものだから消費者は大変迷惑している」などと、持ち前の毒舌をもって家電批判を繰り広げた。そう言われた幸之助氏は、真っ赤になって怒った。けど、適当な反論ネタが思い当たらない。結局、「何だ、そんな長い髪をして(当時藤本氏は長髪だったらしい)。お前なんかウチの入社試験を受けに来ても絶対に合格せんぞ」などと、見当違いな個人批判を藤本氏に浴びせた。ふとスタジオの外を見ると、幸之助氏の「取り巻き幹部」のような人たちが、親の仇でも見つけたような恐い顔をして藤本氏を睨んでいたという。

 この話には後日談がある。タクシーに乗っていると、運転手にこう話しかけられた。「藤本義一さんですよね。先日松下幸之助さんをお乗せしたのですが、ずいぶん褒めておられましたよ」。「冗談でしょ」と言ったけど、どうも本当らしい。「いやね、えらく気骨のある方だとベタ褒めでした。けどね、自分の周りにはそんな人が誰もいなくなったと、それは嘆いておられましたよ」。さすがに幸之助氏くらいになると、まっすぐに意見できる人は周囲にただの一人もいなくなるらしい。けど、そういうことに自ら気付いて、嘆くなどということは、誰にでもできることではないだろう。

 そして最後は、「密告社会の出現」である。さる企業の人事担当者に聞いた話によれば、人というのは程度の差こそあれ、自身の評価には甘く、他人の評価は辛くなりがちな存在で、極めて公正な評価をしたとしても多くの人が「不当に低い評価を受けた」と感じるのだという。さらに、あるエコノミストの方に教わった行動経済学の原則によれば、人は「損をした」ときに「得をした」ときの3倍大きい精神的ショックを受けるという。

論理から導かれる結論

 これを信じるなら、成果主義を導入すれば原理上、高揚感を感じる人より心を傷付けられる人の方が多く、かつその感情の総和は圧倒的に後者の方が大きい、ということになる。この法則が実際のものになっているためか、多くの方が「成果主義の導入によって、全体としてはモチベーションの低下が目立つようになり、かつ会社への忠誠心が著しく低下した」と指摘しておられるようだ。

 もう一つ問題がある。成果主義の導入に歩調を合わせるように、多くの企業が派遣社員や契約社員などの、いわゆる正社員以外の労働力を大いに活用するようになったことだ。正社員を階層化し、さらに正社員の下に新たな階層を設けるということか。何だか、狡猾な徳川幕府の身分制度に似てなくもない。

 この結果として、「社の実情は十分把握しているが、社への忠誠心などというものは持ち合わせていない」という従業員が社内を闊歩することになった。もちろん、このことは一概に弊害とはいえない。ある面をみれば、企業の透明性が増すキッカケにもなるからだ。けれども逆に、この反動として報復や威嚇の常態化、従業員に対する管理や監視の強化、企業上層部の情報の囲い込みが進む可能性もあるだろう。とても危険な香りがする。

 このほかにも多くの弊害が、実に多くの人たちの口から語られている。そして結論はというと、多くの議論で「成果主義という制度自体が悪いのではない。公平な評価ができてない、透明性がないといった運用上の問題がこうした弊害を生むのだ」というところに落ちていく。それも真実なのかもしれない。けれど、ここに挙げた三つの弊害は、いくら評価を公正にしたところで解消しないのではないかとも思うのである。

処方箋はあるのか

 では、それらの弊害はどうしたらなくせるのだろうか…(次のページへ