「富めば嫉視され、貧しければ蔑視される。力があれば憎まれ、力がなければしいたげられる。君主への忠誠がかならずしも正義でないことを、他国の歴史がおしえている…そういう時代なのである」

 ある小説を読んでいて、この一節で目が止まった。「そういう時代」とは、中国の春秋戦国時代のこと。けれど、「君主」や「他国」の部分を「会社」や「他社」に置き換えれば、そのまま今日の状況を言っているに等しい。そう思えたのである。

 一言で言えば、疑心暗鬼。その鬼は、疑われる者、疑う者の両方の心の中に棲んでいる。だから、不正やウソが次々に暴かれる。鬼は、暴かれる側、暴く側両方の心の中に棲んでいる。だから、そのネタは尽きることなく、非難の声も衰えることがない。そんなことを痛感させられた1年だった。誰にも頼まれていないけど、一丁前に今年を総括してみればそんなところか。毎年末に京都の清水寺で書かれる「今年の世相を表す漢字」も「偽」だったことだし。

「偽」の源

 年金問題などという大掛かりなものまであったが、何といっても目立ったのは「白い恋人」「赤福」などなど山のように起きた偽装問題である。その背景には、「食の安全」への関心の高まりなどという要因もあっただろう。ネットの世界では珍しくない「吊るし上げ」がマスメディアの世界に普及したことも一因、という見方もある。おっしゃる通りだが、やはり根底にあるのは「拝金主義の台頭」「組織の硬直化」といったことではないかと思うのである。

 そして、もう一つ。「密告社会の出現」だ。今年槍玉に上がった事件の多くは、お役所や警察の調査などで明らかになったわけではなく、密告、つまりは内部告発によって露見しているのである。社長が「社員は会社に対する忠誠心を持っているもの」とか勘違いして「トカゲの尻尾きり」を試みたものの社員の逆襲にあって大炎上、などという事件もあった。

 ちなみに拝金主義の台頭,組織の硬直化,密告社会という三つの「現象」は、その発生要因の探求を含め長らく私の「思索ネタ」になっていたものである。偽装ではなく、ここ10年くらいの間に蔓延した成果主義というものについて考え、その結果として行き着くものとして目星をつけていたのが、まったく同じくこの三つだった。この一致は偶然なのか必然なのか。もし必然なのであれば、日本で成果主義が広く導入された結果として、多くの人たちの意識が変化し、それが回りまわって「偽」の大量生産と大量発覚に結びついたことになる。ああおそろしい…。

なぜうまくいかないか

 で、本題の成果主義である。その定義を明確にすべく調べてみると、類語は「結果主義」で、対する用語としては「職能主義」「過程主義」「努力主義」「能力主義」「実力主義」などがあるらしい。 日本では成果主義を能力主義と同義に扱う傾向があるが、能力主義は結果に結びつかない潜在能力をも評価対象にするが成果主義はその点を省みないので、本来は全く異なるものなのだという。

 その制度が多くの日本の企業で採用されたわけだが、うまく機能しているという話はあまり聞かない。つい先日も弊社の『NB online』に「このままでは成果主義で会社がつぶれる」という記事が掲載されていた。アンケートで成果主義の導入が「意欲を低めている」と答えた人は「高めている」と答えた人の2倍以上で、目標達成度(成果)を評価されることが、成長に「結びついていない」と思う人が約6割を占めたのだという。

 この調査結果のように、モチベーションの高揚を目的に導入した制度がその逆の効果を発揮しているとしたら、とんだ悲劇である。しかも、問題はそれだけではない。メディアで紹介される意見や実例を拾い読みするだけでも、導入当初はあまり想像していなかった、多くの弊害があるらしいことがわかる。

出世が「なくなる」?

 その一つが、「拝金主義の台頭」というものである。「成果」としてアピールしやすいのは数字。何といっても一番効くのが「私が提案したこの事業で、××円を売り上げた」「もろもろの努力によって計画比120%の利益を達成した」といった金額だろう。それを言いたいから、みな短期的に儲かることをやりたがる。利益を積み増すためにコストを切り詰め、その弊害には目をつぶる。

 その結果として、「手間がかかるけど成果にならない」「成果は出るけどみえにくい」といった類の仕事は、誰もやらなくなってしまう。その代表例が他部門などへの支援活動であり、若手の教育である。確かに「すげー教育してあいつを一人前にした。今やすごい戦力になっているけど、それは私の努力の結果」とか上司にアピールしても、「はいはいご苦労さん。今期は言うべき成果が何もないわけね」と思われるのが関の山だろう。

 次に、「組織の硬直化」。一昔前まで、上司は仕事上の指揮者であった。だから「仕事上で意見が対立し上司と大激論」などということもできただろう。ところが今は、指揮者でありかつ評価者、つまりは自分の給料を決める人なのである。そもそもこの両機能は独立したものであるはずなのだが、実際はそううまくはいかない。評価者の反感を買えば給料が安くなるかもしれない。だから逆らわない。その結果、上司の仕事上の判断を部下がチェックするという機能が損なわれる。

 当然、それを覚悟で文句を言う部下もいるだろう。そのような人でも昔なら、「あいつの態度は気に入らないけど順番だからやらせるか」と、管理職にもなれたかもしれない。けれど、選ばれた人しか上に昇れない仕組みは、反骨精神あふれる人材には生きにくい制度となるだろう。昔は「上司に逆らうと出世が遅れる」と言われた。今は「出世がなくなる」のである。

お前なんか絶対に合格せんぞ

 経営をテーマに取材を続けておられるジャーナリスト…(次のページへ