追求

 まだ私が電機メーカーの研究所に勤務していたころだから今から20年も前のことになるが、資料室で学術誌を拾い読みしていて、ある強烈な論文を見つけた。それは権威のある物理学の論文誌に掲載されていたもので、著者はイギリスだかフランスだか忘れたが欧州の大学教授で、かなり高名な物理学者のようだった。その教授と助手の間に、このようなやり取りがあったに違いない。

「ブラックコーヒーとミルク入りのコーヒーでは、どうもミルク入りの方が冷めにくいように思うのだが、君、どう思うね」
「いや先生、それは気のせいでしょう」
「そうかなぁ。一丁調べてみるか」

 ということで、研究が始まる。その様子を論文はあますことなく伝えているのである。

 まずは、同じ温度、同じ量のブラックコーヒーとミルク入りコーヒーを同じカップに入れて用意し、同じ環境下に置いて温度変化を測定する。この結果、ブラックコーヒーの方が冷めやすいことが証明されるのである。ところで、それはなぜなのか。まず教授が思いついたのは、「ブラックコーヒーは黒いから、ミルクを入れて白っぽくなったコーヒーより放射熱量が大きい」という仮説である。早速その熱放射の差を産出し、どれくらい温度低下の速度が変わるかをシミュレーションしてみるのだが、結果はシロ。その影響はあるが微弱で、実験で示されたような「冷め方の差」には遠く及ばなかった。

 そこで研究は一頓挫する。仮説立てからやり直し、試行錯誤を繰り返す。そのうちに、やっと結論が見えてきた。コーヒーの蒸発量に差があったのだ。液体が蒸発する際には、気化熱分の熱エネルギーが液体から奪われる。つまり、蒸発が多ければ多いほど冷めやすいということになる。では、その差はどうして生まれたのか。その原因ももちろん論文では検証されている。ミルクに含まれる乳脂肪分に秘密があったのだ。その脂肪分がコーヒーの液面を覆い、その蒸発を抑制していたのである。

散逸

 まあ、無駄な研究である。とりあえず、何の役にも立ちそうにない。けれど、何だかスゴいと感動した。こんな研究をしてみようと思うことがスゴい。それを論文に仕上げ、著名学術誌に投稿したところはもっとスゴい、それをアクセプトして掲載してしまう学術誌の人たちの心意気も、負けないくらいスゴい。欧州というのは、何ておそろしいところなのだろう。それが正直な感想だった。こりゃ、かなわんと。

 先日、研究所時代の同僚に会った。業績不振ということもあり、それが流行りということもあったのだろう、ターゲットや事業化時期が明確でない「無駄な」研究はすべて停止となり、今や残っている研究テーマは、事業部の下請け仕事と、国家プロジェクトなどの「ヒモつき案件」だけになったとぼやいていた。もちろん研究者も激減し、非研究職への転換をきらった者たちのほとんどは、会社を辞めて大学や韓国など外資系企業に行ってしまったという。

 無駄を削れば経費が浮いて利益が増す。短期的にはその通りだろう。ただ、長期的にみたとき、そんなことで本当に大丈夫だろうか。何となく大丈夫ではないような気がする。具体的にどのような悪影響が出るのかは、よくわからない。けど、それを突きつめてしまえば、たとえば次のような研究成果はもう出てこなくなるかもとは思う。

許容

 先年、食料・医薬品材料などを手掛ける林原グループの中核企業の一つ、林原生物化学研究所の研究開発担当役員の方にうかがった話である。林原グループはそもそも明治年間に水飴屋として創業したということもあり、糖の研究が盛んに行われていた。そんな中、ある研究者が「甘くない糖」を開発してしまったのである。

 上司は当然、「どうするんだそんなもの」と聞いた。けど、研究者に「こいつは売れる」という確たる感触があるわけではない。ただ「面白そうでしょ」というだけなのである。それでも上司は研究の中止はさせなかったようだ。そしてめでたく、甘くない糖は製品として完成する。いよいよ量産、発売ということで、今度は役員会にかけられた。幹部たちも一様に「どうするんだそんなもの」と首をひねったが、「やめとけ」とは言わなかったらしい。スゴい人たちである。

 結果は大ヒット。和菓子などのメーカーなどから矢のような注文が殺到し、幹部たちはあんぐり口を開けてその報告を聞いたという。消費者は「甘さ抑え目」を好むようになってきた。菓子メーカーとしてはこの要望に応えなければならない。けれど、甘味を抑えるために砂糖の使用量を単純に減らせば、テリがなくなったり本来の食感が損なわれたりしてしまう。そこでこの「甘くない糖」が引っ張りだこになったというのが、そのカラクリだった。

 ちなみに林原グループは、その研究開発力だけでなく、メセナ活動に熱心な企業としても知られている。グループ傘下には先代社長のコレクションを核とした「林原美術館」があり、1万件にのぼる東洋の古美術品を収蔵、公開しているのだという。

 「必要無駄」の信奉者は、さすがに一味違う。