いろいろ思案した挙句、試しに針で刺してみた。するとなんと水が噴き出したのである。管理人に調べてもらうと、寝室の上の階にはプールがあり、どうもそこからの漏水が壁伝いに流れ出したという。それからというもの、管理人を何度も呼んでプールのどこから水漏れしたのか、その原因を探すのだが、なかなか分からない。その挙句にやっと判明したのは、プールへの配水管の接合部で、驚くことに直径の違う管を無理やり接いでいて、その部分から水が漏れ出したということであった。設計者かいいかげんなのか、はたまた施工者が大雑把なのか。とにかくこんなずさんな工事が許される風潮に、ものすごい違和感をもったことを今でもよく覚えている。

繊細さのプラス面とマイナス面

 こんな体験を海外ですると、日本のあの神経細やかな設(しつら)えが急に懐かしくなる。いまも手元において大事に使っている書類入れは小さいながらも引き出しが4つある戦前の立派なもので、引き出しを出してから元に戻そうとすると、他の引き出しが今にも出てきそうになる。あまりにも精緻なので空気の逃げ場がないからである。この職人芸こそ、おそらく日本が誇るべき強みなのであろう。

 それからというもの、これら3カ国の違いをこんな風に言って比較していたものだ。タイがメートルならば、アメリカはセンチ、そして日本はミクロンの世界だと。もちろん、お国自慢である。

 ところが最近、少し違うことを考え始めている。タイの、あのおおらかな生き方も、実に人間らしい生き方でいいではないかと。アメリカも、あれはあれでよい。細部のツメが甘いことは認めるが、全体から受ける圧倒的なインプレッションは捨てたものではないだろう。あのバイタリティー、あの建物全体や空間全体をうまく使い切る建築の手法など、とても感動的である。多少隅っこに隙間があっても、全体が持つ雰囲気は日本では見られない魅力だ。

 こんなことを考え始めると、日本的な繊細さを無邪気に自慢するのはちょっと違うかも、とも思うのである。長所は、時と場合によっては短所ともなる。細部にこだわり、とことん追求する姿勢は立派だが、そこにとらわれると細部しか見えなくなる。そして、全体を見ることが出来なくなるのではないのか。

 これは、何も技術に限ったことではないだろう。日本で問題になっているさまざまなことを思い浮かべてみると、部分最適を追求するあまり全体最適を見失っているのではと思うことが少なくない。

資源の獲得競争の中で

 ある方から聞いた話である。いい物を作りたい。最高の品質を求める。これは誰しもがそう願うはずだ。ところが日本人は、それを実現するに当たって原材料にまで完璧を求め、本当に品質の良いものしか買わないらしい。原材料を過剰なまでの厳しさで選りすぐるのだ。ところが、自然界にあるものにバラつきがあるのは当たり前である。外国勢は、その玉石混交の原材料を平気で買い入れ、それをうまく生かしてそれなりの品質を実現する。それこそが、本当の技術だと彼らは考えているのだという。

 これも最近聞いた話である。フィリピンのバナナの輸入で、あるとき現地を台風が襲ってバナナの木が全滅、たちどころに納品ストップとなってしまった。納入業者がその事情を日本の貿易業者に話したところ、欠品の賠償金を要求されたそうである。これに対して納入業者は烈火のごとく怒った。生産者は木が全部倒され、明日からの生活をどうしようかと途方に暮れている状況なのに、賠償金を払えとは何ごとか。日本の消費者が1カ月間バナナを食べれなくて何が困るのかと。生産者の怒りはもっともだ。

 こんな話を聞くと、日本はひたすら国内だけを見て、そこだけで通用する世界観を持って生きているのではないのかと疑いたくなってしまうのである。日本にはなく、日本が生きていく上でどうしても外国に頼らざるを得ないエネルギー、資源、原材料、食糧なども、カネさえ払えば手に入る。生産国での苦労や事情をよく知らなくとも、契約さえすれば欲しいものは何でも手に入ると思い込み、我が道を行く。こんな「一国平和主義」がはびこっているとしたら、それで日本は21世紀を生き抜いていけるのだろうか。

 素人ながら技術の話に戻ると、これからの技術のあり方について、あらためて広い視点から議論すべき時期にきているような気がする。温暖化が進み、これからBRICsをはじめとする多くの国々との「資源の獲得競争」に突入していく。原材料や食材の高品質志向も結構だが、やがてはそんな贅沢も言っていられないときが来るのである。自然の恵みを選り好みせず、手に入るものすべてを生かし、多少の不ぞろいがあっても大切に使っていくおおらかさが求められる時代になったのではなかろうか。

著者紹介

末吉竹二郎(すえよし・たけじろう)=国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEPFI)特別顧問
1945年1月、鹿児島県生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行入行。ニューヨーク支店長、同行取締役、東京三菱銀行信託会社(ニューヨーク)頭取、日興アセットマネジメント副社長などを歴任。日興アセット時代にUNEPFIの運営委員会のメンバーに就任したのをきっかけに、この運動の支援に乗り出した。2002年6月の退社を機に、UNEPFI国際会議の東京招致に専念。2003年10月の東京会議を成功裏に終え、現在も引き続きUNEPFIにかかわる。企業の社外取締役や社外監査役を務めるかたわら、環境問題や企業の社会的責任(CSR/SRI)について、各種審議会、講演、テレビなどを通じて啓蒙に努めている。趣味はスポーツ。2003年ワイン・エキスパート呼称資格取得。著書に『日本新生』(北星堂)『カーボン・リスク』(北星堂、共著)『有害連鎖』(幻冬舎)がある。