技術者であれば,自分が研究してきた成果を実用化に結びつけたいと願うことは,ごく自然である。自社では撤退せざるを得なかった研究への未練が,転職への引き金になるということも,これまでも多く見てきた。

 もちろん,平坦な道ばかりがあるわけではない。企業を転々として,ようやく花開いたケースもあれば,結局水面下の研究として終わってしまったケースもある。自分で,引き際を考えなくてはならないこともある。今回は,研究にこだわりを持っていた技術者の,転職話の実例をご紹介する。

企業を辞めて自ら実証実験の道を選択

 自分が所属している企業の方針が,急激に変わるという可能性はどこにでもある。方針が変更する理由は,日本企業と外資系企業ではかなり異なるように感じる。日本企業の多くは,業績不振を理由として方針を変更する。一方,外資系企業の場合は,業績うんぬんというよりも,トップマネジメント層が独断で方針を変更することが多い。外資系の場合,トップマネジメント層が変わると,従来の路線を踏襲していたのでは新たに登用された意義がないと考える。業績が悪くなくても思いがけない方向転換が示されるケースがあり,ドラスチックに事業が停止される場合もある。

 A氏は,そんな外資系企業の技術者だった。大学を卒業してその外資系企業に入社以来,ディスプレイ関連技術の研究開発に従事してきた。入社後,数年を経た時,自社単独の事業路線から外部企業との連携による開発へと方針が大きく転換した。数年ごとにパートナー企業が変わり,彼の勤務場所もその度に変わった。そして最終的には,突然事業から撤退の方針が打ち出された。

 A氏には,三つの選択肢があった。現在所属している外資系企業の他の研究部門に異動する,現在提携しているパートナー企業に移籍する,退職する,の三つだ。

 ここで筆者は,A氏から重要な相談を受けた。A氏は勤務中に画期的なアイデアを考えついたというのだ。A氏のアイデアを具現化するためには,アイデアの実証,そして特許化が必要である。しかし,所属企業は事業から撤退するので,そこでアイデアを実用化するのは事実上不可能。また,現在のパートナー企業は非常に規模が小さく,実用化までの時間とコストが避けるのかが非常に不安。そこでA氏は,最終的に退職することを選択。さらには,どこにも勤めずに,アイデアの具現化を自力で図る道を選んだ。

 ここで大きな関門が立ちはだかった。アイデアの実証をどこで行うのか?そして特許申請をどうするのか?

 アイデアの実証については,協力してくれる機関を出身大学の協力で確保する目安がたった。特許に関してだが,未完成でもA氏のアイデアは職務発明に近いと判断される可能性が非常に大きかった。しかし,A氏の名前を出して出願すれば,A氏の所属していた企業から訴えられる可能性がある。まして外資系企業の特許管理は日本企業よりはるかに厳しい。従って,何らかの対策を練る必要があった。

 そこで,いくつか対策を練った上で,A氏には独力で研究を進めてもらうことにした。筆者は,時々A氏と連絡を取りながら,実証実験が終わるのを待つことにした。

想像以上に高い壁,これをどう乗り越える

 それから約半年が過ぎ,A氏から連絡があった。現在の実証実験を止めて,ある外資系企業に転職するとのことだった。

 いきなりの決断だったので,筆者にとってはある面で意外ではあったものの,またある面では当然の結果として受け止めた。意外とは,もちろん自分のアイデアの実現をA氏が断念したことである。一方で当然とは,自腹で実証実験を継続する経済的負担,自己の生活の問題,また特許申請の問題,そして,たとえ特許を申請したとしてもその特許が売れる保証がないことなどを勘案したときに,断念という道を選んだことである。

 筆者は技術者が退職して自分の夢に挑戦するケースを沢山みてきた。ここではっきり言えることは,退職時に想像するよりも目の前に立ちはだかる壁は実際には何倍も厚く,そして弾き飛ばされることが大半であるという事実である。個人が創業して夢を実現するには生活のベースを確保した上で,明確な事業の完成時期が見えない状況の中で不屈の精神を継続していくこと,頻発する不測の事態に冷静に対応していくことなどが必要となる。創業して資金を得るまでの時間は場合によっては3年以上になることも考えられ,非常に高い壁だ。そんな意味で,筆者はA氏の選択は正しかったのだと思う。

 A氏のような人物は,A氏が専門としていた分野において新たに事業展開を考えている企業にとっては,受け入れることに非常にメリットがある。しかし,通常の転職においては,ある分野に思い入れが強いといった個人の意図が強く,それをすべて受け入れた形態で転職が進むことは稀である。その辺が筆者にはとても残念であるが現実であろう。

 このように,夢の実現だけを追い求めてゆくと生活が困窮し,最後には夢をあきらめなければならなくなる。これを避けるためには最低限の生活を維持できるだけの収入を確保しておくことが非常に重要だ。これを忘れて開発にのめり込むと危険である。従って,理解者やスポンサーを見つけることが非常に重要となるであろう。またサイドビジネスの手段をもっていることも役立つ。大学の恩師を頼るのも一つの方法。長期戦を戦う準備を十分にすることが大事なのだ。

 極端な方法を言えば,所属企業に談判してスピンオフ創業するするやりかたもあるだろう。松下電器産業など一部の大手企業ではこれを奨励しており,今後は企業の理解が得やすくなると思う。

 最後に,今回の一連の挑戦にA氏がなぜ挑むことができたのかと言う質問があったとしたら,・・・・答えは,“彼は独身だった”,である。