この連載の趣旨や筆者のご紹介などはこちら

 テレビで「このままでは日本は、アジアの隅っこのひなびた国になる」と政治家がぼやいていた。ジョン万次郎だっけなぁ、「明日のヒントは海外にある」と言ったのは。

 とかくこの世は情報が多すぎて窮屈なおかげで、我輩はロマンを忘れちまった。そのロマンは空白の時間から生まれるっていう。要するに情報を遮断すればいいってことなわけだ。そうだパソコンが使えない国に行けばいい。だから飛んでみた。要は、遅い夏休みがようやくとれただけなのだが。

 8時間後、ただ海が見渡せるカフェに座って押し寄せる波を眺めている。青い水平線、純白の砂浜に小船がのんびり行き交い、親子が浜辺で遊び、子供たちが民族舞踊を練習している。画家が真っ白なキャンパスを見つめて絵の構想を練るっていうのは、こんな感じなのだろうか。バリのクタリーフを眺めウェスモンゴメリーの「California Dreaming」やHapaの「He`eia」を聴きながら「海洋王国の千年ロマン」を想う。そうそう、こうでなくっちゃ。

 ところで…。ふと思う。このきれいな海はいつまで美しくあり続けられるのだろうか。地元の漁師が言っていた。つい先日、大量の魚が浜に打ち上げられたのだとか。原因はわからないという。道路を隔てた民家までその悪臭は漂い、近隣の外資系ホテルは大あわてで広大な浜辺の大掃除を余儀なくされたそうだ。

 地球環境のバランスを壊せば、経済にマイナス効果がもたらされる。これが経済的ガイア理論。つまり、観光産業が盛んになれば、結局は汚染物質を垂れ流し、観光資源を壊すことになる。そして、観光客は来なくなる。観光産業が観光産業を殺すのである。観光立国の終焉とはそんなものだろう。

 昨日、エコの思想を取り入れて業務改善をしようという「キーストーン戦略」なる本を読んだ。なるほどと思ったが、眼前に広がる青い海を眺めていると、それも机上の空論に思えてくる。そのような理論だけで、この海が薄汚れていくことに歯止めをかけられる気がしないのだ。

 ふと視線を逸らすと、巨大な運搬船が打ち上げられた鯨のように横付けになっている。バリでも浜辺の砂の侵食が激しく、その対策として岩を使って防波堤を築いているという話を聞いた。それなのだろう。防波堤に使う巨大岩は、満潮時に浜辺近くまで運搬船で運んでくる。やがて潮が引くと、船は砂に乗り上げた形になる。そこでブルドーザーを出動させ、岩を運び積み上げる。一日経って満ち潮が再びやってくると、ぽんぽん船が空になった運搬船を引っ張って水平線へと消えてゆく。それを繰り返すのだ。


(画像のクリックで拡大)

 日本の湘南でも、砂が流されるので、毎年10トントラック何百杯分の砂を運んで埋め合わせているらしい。それで、外観は保たれるかもしれない。しかし、海底の珊瑚、近海魚の生態系は多大なダメージを受けている。地元漁師は魚介類がまったく捕れなくなったと投網を見せて嘆いていた。

 現在,世界の観光産業の7割が…(次のページへ