その先に見えるのは、悲惨な値崩れだ。かつて長く日経エレクトロニクスの編集長を務めていた西村吉雄氏は、この現象について面白い指摘をされていた。「自由市場に任せると、米は余れば底なしに値段が下がっていく。半額にするからと言っても食べる量を2倍にしてもらうことはできないからだ。半導体は産業の米などというけど、その価格決定メカニズムは、米と実によく似ている。少々値段が下がったからといって、需要は増えない。だから、底なしに値段が下がっていく」。ディスプレイも、事情は半導体と変わりない。

考えずに信じる?

 これはえらいことだと、各社の担当者に話を聞いてまわった。データをみせると、供給能力が激増することは認める。価格が大幅に下がるだろうことも認める。けれど、それはコスト削減努力と量産効果によるものであって、決して「買い手がないから」という種類のものではないと言い張るのである。「カラーTFT液晶パネルは、夢のディスプレイなのだ。こんな素晴らしいものが売れないはずはないではないか。引く手あまたに決まってる」と。

 でも、それは理屈に合わないだろう。作る端から売れていくのであれば、値段が下がることはない。「いや10万円でも買いたいという人はいくらでもいるのだけど、原価が下がったから5万円で売ります」などと、理由のない廉価販売を実施した話など聞いたことがないのである。売れるのであれば、値段は下がらない。値段が下がるのであれば、それは供給過剰だから。これが市場原理というものだろう。それとも、こと液晶パネルに限って、市場原理を超える何かが起きるというのだろうか。

 結局、どのメーカーの方と話しても、議論はかみ合わないまま平行線で終わった。ほとんどの前提条件は是認してもらえても、「余ったあげくの価格暴落」が起きるということだけは決して認めてもらえないのだ。そのとき頭をよぎったのが、「思考停止」という言葉だった。「もう、投資をすることは決めた。その先のことは考えたくない」ということではないかと、不遜にも疑ってしまったのである。

アクセル「べた踏み」

 そして、理屈通りの結果が日本メーカーを襲った。1994年後半から国内の新鋭工場が続々と稼動を始め、パネルの値段はどんどん下がっていった。そのうち、一部メーカーが生産調整を始めたとの噂も流れ始める。韓国や台湾のメーカーも本格量産を始め、そのことが市況を一層悪化させていく。

 もっと悲惨だったのは、この数年間にすべての国内参入メーカーが被った「火傷」が、経営者の投資マインドを冷やしてしまったことだ。経営者たちは、この投資がリスキーなものだとは思っていなかったのだろう。それだけにショックが大きかった。そのショックのあまり、過剰に萎縮してしまった。そう思えてならない。

 一方、同じ火傷を負ったはずの韓国メーカーや台湾メーカーは、それをものともせず、後発というハンディすら乗り越え大型投資を続けた。参議院議員の藤末健三氏が指摘されているように、韓国メーカーには政府系融資という強い味方もあったようだが

 ある業界関係者は、日韓の投資行動の差について、後日こう説明されていた。「あれ以降、日本は腰が引けてアクセルとブレーキを交互に使うようになった。つまり、市況が好転すればアクセルを踏み、悪化すればブレーキを踏めばいいと思ったんですね。これがマズかった。いざアクセルということで投資をしても、実際に生産ラインが稼動して供給量が増えるのは1年後か2年後。ところがそのころには市況が悪化している。結果として、逆、逆になってしまうわけです。一方、韓国や台湾のメーカーはひたすらアクセルを踏んだ。日本がブレーキをかけるたびに、その差が縮まり、やがては抜かれてしまった」。

 別のアナリストの方も、この説を支持しておられた。「そうそう、その通り。もっと言えば、半導体も同じ。まったく同じパターンで、日本メーカーは韓国メーカーに抜かれてしまったというわけです」。

 そして気付けば、今日のような状況になっていた。日本の技術者が知恵と労力の限りを尽くして育て上げ、ついには量産にまでこぎつけた液晶パネルは、それがようやく「稼げる」ところまで成長したとき、その売り上げの多くを海外メーカーに渡してしまっていたのである。それでもシャープのように、強豪の一角を死守しているメーカーもある。けれど、1990年代前半に高々と量産宣言をしたメーカーの多くは、大画面液晶パネル事業の縮小や譲渡、撤退を迫られることになってしまったのだ。

歴史は繰り返す?

 こんな古い話を持ち出して、ぐちぐちと言い立てる気になったのにはワケがある。最近「なんか似ていないか」という話を聞いたからなのである。それは、今秋の展示会などでも話題をさらった有機ELパネルにまつわるものだ。

 展示会で有機ELパネルのテレビを実際に見て「これはスゴい」と感じた。長い年月をかけてここまでこの技術を育て上げた方々の努力に、大いなる拍手を送りたい気持ちになった。けれど、それはそれ。その興奮をそのままに、テレビのニュースなどが「ポスト液晶」などと持ち上げている真意が、私にはよく分からない。このディスプレイが現在の液晶テレビやパソコン用の液晶モニタに取って代わるとは、どうしても予想できないのだ。

 その疑問をある技術者の方にぶつけてみると…(次のページへ

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