これまで,多くの技術者の転職を見てきた。彼らが転職を決意する場合,その理由としては,大きく二つのケースに分けられる。一つは外部環境が変化することによるもの,そしてもう一つは自らの都合によるものだ。今回は外部環境の変化によるものを取り上げてみる。

 外部環境の変化によるケースの典型的なものが,プロジェクト,あるいは事業の中止によるものだ。これが多発したのが,1990年代前半のいわゆるバブルがはじけた後の時期だ。

 記憶に新しいように,バブル期には多くの企業が新事業に挑戦した(その多くは現在撤退しているが)。代表的なものとしては,鉄鋼各社が挑んだ半導体関連をはじめとしたエレクトロニクス事業,化学系企業が挑んだバイオ事業などが挙げられる。

激しい引き抜き合戦の後に・・・

 もちろん,いずれの新事業においても,参入した直後には自社に満足な質,量の技術者がいるわけではない。技術者の中途採用を多くの会社が実施し,その結果,激しい引き抜き合戦が始まった。技術者にとってみれば,非常に好待遇で転職することができたわけだ。

 しかし熱狂の時代も長くは続かなかった。新規事業の進展が思わしくないこと,そして本業すら利益を上げることが難しくなってきたことなどにより,折角苦労をして人材を集めて開始した事業にも関わらず,撤退せざるを得ない局面を迎えた。

 この時,自分の持っている技術が他部門においても活かせることで,同一企業に勤められた技術者はまだ良かった。不幸だったのは,再度転職先を探さなければならない技術者だ。そのような技術者は,自分の持っている技術を活かしたくて転職してきたにも関わらず,社内に残りたければ他の仕事をせざるを得ないので,出ていかなくてはならなかったのだ

 私の知っている技術者で,バイオ・医薬に携わる人がいたが,彼の場合は特に悲劇的だった。現在のような環境ビジネスに市場があれば,バイオを専門としていても新たな就職先があっただろう。しかし,当時は環境ビジネスもパイが小さく,転職して間がないのにまた転職先を探さねばならない上に,転職先がなかなか見つからなかった。かねや太鼓で迎えられたのに,鞭を持って追われるみたいなもので,再就職の協力もしたが,人生の先の見えなさを実感させられた。

 新規の事業を立ち上げるために中途採用された場合は,自分が採用された部門が縮小・消滅した場合のことも考える必要があったということだ。その企業に自分が活躍できる舞台が,ほかにもあるのかどうか。これを調べておくことも,“転ばぬ先の杖”として,必要かもしれない。

転職の価値は個人の能力だけにとどまらない

 もう一つ,別の例として私が考えさせられたのが,光磁気ディスク事業に携わっていた技術者のケースだ。この技術者が所属する企業はさまざまなテーマに意欲的取り組む企業だった。ところが,研究開発はするものの,事業化には非常に慎重・臆病であるという特徴をもった企業だった。光磁気ディスクの場合は,事業化に向けた準備もしていましたが,最終的には事業化断念の方針が下された。

 技術者とは一般に,開発されたものが事業化されることを強く望むもの。光磁気ディスク事業は,前述したバイオ事業とは違って,市場が開けていた。このとき,丁度,別の企業が光磁気ディスク事業を始めるにあたり,プロジェクトリーダーを求めていた。

 プロジェクトリーダーを求めている企業の企業規模が小さかったこと,家族と離れて単身で赴任しなくてはならないこと,などがあり,かなり本人は迷った。しかし,研究成果を製品化することに対する思いが強く,最終的にはその企業に転職した。さらには転職しただけでなく,自分のかつての同僚たちも誘い,転職させた上で一緒に光磁気ディスク事業を進めたのだ。

 このケースは技術者を受け入れた企業にとっては,単なる転職者を受け入れだけではなく,人件費だけでおおよそ技術移転ができたという大きなメリットが隠れている。もし,正式に事業から撤退する企業に技術の譲渡を申し込めば,おそらく大きな対価を要求されるだろうし,その割に望むものを確実に手にいれられるかについては,疑問符がつく。この場合は,転職前の企業でしか知ることができないような技術を利用すると,秘密漏えいになるので気をつけなくてはならないが,そこで培った多くの人の経験は十分に技術開発に利用できる。

 転職を考える技術者は,自分がやりたいことができるかだけを考えがちになる。もう少し踏み込んで考えるべきは,自分が転職することにより,相手にどのようなメリットを与えられるかだろう。そこまで慎重に考えれば,自分を正当に高い価値で受け入れてもらえるようになるものと思う。最も,そのような価値は日本企業にはなかなか判断してもらえないないようで,外資系の方が考慮してもらいやすい。

 技術者が外部環境の変化によって転職する場合,時と場合によって,その価値や意味は非常に異なるもの。これは受け入れる企業に与えられるメリットを考えれば理解できるはずだ。研究開発における時間の短縮,失敗事例を知っていることによるリスク回避や無駄の排除など,数字には表われ難いものを,転職してくる技術者はたくさん持っている。適切な人材を獲得することによるメリットは企業にとって莫大なもので,中途採用を積極的に展開しない企業があるとすれば,それは筆者にとってみれば信じられないことだ。