エレクトロニクス業界の再編に関する話題が世間を賑わせている。分野によってその進捗度合いに差はあるが、コンシューマ向けオーディオ機器の分野などは、その「最先端」を走っているといっていいだろう。2007年7月、そのオーディオ業界の一員であるオンキヨーがパソコン・メーカーのソーテックを買収するという報道が流れた。そして8月16日に子会社化を完了した。なぜオンキヨーはソーテックを買収したのだろうか。買収して、何をしたいと考えているのだろうか。

 それを考察する前に、歴史的な背景を踏まえておきたい。オーディオ業界は、1970年代には隆盛を極めたが、1990年代に入り構造的な不況に突入した。大小含め相当数にのぼっていたオーディオ・メーカーも、かなり淘汰されてしまった。専業で現在でも存続しているメーカーを挙げれば、ヤマハ、デノン(日本コロムビアのオーディオブランド「デンオン」を持つオーディオ部門が分離し日本マランツと合併)、そしてオンキヨーくらいだろう。ただし、ヤマハはオーディオ専業ではなく音楽産業に広くかかわっている企業である。ちなみに、かつてオーディオ・メーカーとして名を馳せたパイオニアやケンウッドは、現在はオーディオ以外の事業が主力となっている。

衰退はデジタル化とともに

 1990年代に進行したオーディオ業界の衰退は、機器のデジタル化と歩調を合わせるように進行した。かつて高度なアナログ技術を保有していたオーディオ・メーカーは、コンテンツの保存メディアとしてアナログ磁気テープとアナログレコードを用いていた。これらのコンテンツを音源として、その音質を最大限に引き出すためのアナログ技術をノウハウとして各社が蓄積してきたのである。それが企業のコアコンピタンスであり、市場における優位性を保ち他社の参入を防ぐ大きな防波堤となっていた。それがCD(コンパクト・ディスク)の登場によって、あっという間に崩れ去った。

 アナログの時代、レコード針の専業メーカーとして隆盛を誇っていたのがナガオカである。私事で恐縮だが、1979年にナガオカが企画したクイズに応募して当選し、アメリカ旅行に招待されたことがある。このツアーは、ジャズのライブハウスやチャック・ベリーのコンサートなども組み込まれた贅沢なものだったが、30人のクイズ当選者だけでなく販売店などの取引先も多数招待されているという、ずいぶん大掛かりなものだった。当時のナガオカは、競争優位のポジションを占め、経営的にも大成功していたのだろう。

 それがCDの普及を受け、あっという間にナガオカはオーディオ業界の表舞台から姿を消してしまった。音楽コンテンツを保存再生する目的で使われていた技術が、デジタル化というイノベーションで短期間にまったく異なる技術に置き換わってしまい、その結果、業界に大変革が起こったという典型例だろう。

 レコード・プレーヤだけではない。レコードからCDへという流れを受けて、オーディオ業界のビジネスモデルそのものが瓦解の危機に瀕したのである。電子回路のIC化と外販化が進み、音質にこだわった回路を自身で設計しなくても、安価なオーディオ・セットやラジカセでそこそこの音が再生できるようになった。多くの人々が比較的安価な機器の音質で満足し、これを求めた結果、アナログ技術というノウハウの塊だったオーディオ機器メーカーの優位が崩れるという構造変化が進行することになった。

 たとえば、三洋電機は「OTTO」というオーディオブランドを展開していたが、この波を受けて安価な機器を製造する方向に転換、一瞬にしてブランド価値を減じてしまった。総合電機メーカーなら、こうしたことが起きてもたくさんのブランドのうち一つのブランドを失ってしまうだけだが、オーディオ専業メーカーにとっては致命傷になる。オンキヨーもこの例に漏れず、1990年代に入って経営状態が悪化する。同社は、出資比率7割の東芝からの支援を受けていたが、当時の風潮として思い切ったリストラ断行することはできず、製造拠点を子会社化する程度と打つ手は限られていた。当時は、社員も「儲からなくてもやりたいことできればそれでよい」という風潮に支配されていたようだ。

 この後オンキヨーは、1993年に東芝から株を譲り受けた「平成の再建王」大朏直人氏がトップに就任し、本格的な再建に着手することになる。大朏氏がユニークなのは、単に財務面からのみの再建ではなく、オンキヨーのブランドに惚れ込み、製造業としてのオンキヨーブランドを真剣に立て直そうとしているところだろう。

デジタル時代の「生きる道」