昨年末に出た『あなたのTシャツはどこから来たのか?』に完全にハマっている。

 マイアミのドラッグストアで売っていた1枚5ドル99セントのTシャツと文字通り「鬼ごっこ」することによって、著者のビジネススクール教授ピエトラ・リボリ氏は近代史のすべてを解き明かしていく。まあ、面白い。

 中国の縫製工場まで出かけ、ところで「綿は?」とピエトラ氏は尋ねる。もっと奥地に綿農家があるのだろうか?

 「うーん、たぶんテクサあたり」と地球儀を回す経営者。驚いたことに、世界最安値のTシャツの原料は人件費の高いアメリカのテキサスで作られていたのだ。開発途上国ではお話しにならないほどの補助金が、テキサスの綿農家には注ぎ込まれているのである。だが、問題の本質はそれではない。最貧国の人々が、タダに等しい人件費にたよってキビシイ綿農場を経営しても、産学協同したアメリカの高度なテクノロジーにはとうていかなわない、という現実がある。

 私たちがよくみかける光景ではないか。さっぱりした姿でカップをばかばかゴミ箱へ捨てるコーヒーショップの向かいに、お父さんお母さんで経営している喫茶店がある。さすがに激安競争は終わって、1杯のコーヒーの値段はさほど変わらない。いや、むしろ外資系チェーン店のほうが高い。しかし、コーヒーや軽いスナックの品質と商品力で、人件費を切り詰め良心的にやっている昔ながらの店は到底歯が立たない。スターバックスのコーヒーは、巨大システムの中で一つの無駄もなく作られているからだ。

 この本が面白いのは、あらゆる不合理で不可解な歴史の断片が、Tシャツ1枚でつながるところにある。映画などで描かれていた黒人差別。60年代でさえ水飲み場が別々になっていたアメリカ南部の差別を、私は「何と野蛮な連中か」としか考えていなかった。しかし、この本を読めば、あれも「経済」なのかと気付かされる。

 アメリカの綿農場200年の歴史のうち、150年は奴隷の安い賃金によって支えられていた。 残り50年間で、さまざまなテクノロジーを生み出し、その一方でロビイストが暗躍し政治支配力を得た。それまで蓄積した資金を注ぎ込んで技術力と補助金を勝ち取り、世界一安価な綿を作り出す高度なシステムを構築したのである。

 ところが、手のかかる紡績機と縫製工場はそうはいかなかった。ラグビーのボールがパスされるように、農家から出てきた貧しい娘を工場に縛り付けるような縫製工場のやり方は、欧米から日本、中国へと、つまり後ろへ後ろへと回されていく。このことを著者は「底辺へ向かう長い競争」の第5章で解き明かす。

 私の母親はなぜ、辛抱強く粗食で働き者だったか? 縫製工場で働いていたからである。

 日本が、繊維産業で外貨を稼いでいた時代があった。ちょうどそのころ、佐藤栄作首相政権下で沖縄返還が実現する。いわゆる「西山事件」で、それは400万ドルという巨額の補償費を肩代わりしたから実現したということが暴露された。しかし、そもそも沖縄返還と交換条件にされたのは、米への繊維輸出抑制ではなかったか。

 ニクソンはこのお陰で大統領になり、佐藤栄作はノーベル平和賞をもらった。裏で、繊維産業に補助金をバラまいたのは田中角栄である。で、このバラマキを「ありがとう」と真似し続けたのが自民党だと、竹下登元首相は書いている。

 そして、今は中国。この国の衣料品輸出は年平均30%で伸びている。間違いではない。30%だ。過酷な労働条件であれ、農家よりはましと、中国では無限に労働力が工場へ流れているのだろう。

 もうおわかりだろう。国交とは、すなわち商談なのだ。

 Tシャツがどこから来たか考えれば、6カ国協議があのように結末した理由も、よくわかるのである。

【注】このコンテンツは、以前に日経ベンチャー経営者クラブのサイトで「美しくて、あいまいな日本」というコラムの記事として公開されていたもので、Tech-On!に再掲いたしました。

著者紹介

神足裕司(こうたり・ゆうじ)
1957年広島生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。筒井康隆と大宅壮一と梶山季之と阿佐田哲也と遠藤周作と野坂昭如と開高健と石原裕次郎を慕い、途中から徳大寺有恒と魯山人もすることに。学生時代から執筆活動をはじめ、コピーライターやトップ屋や自動車評論家や料理評論家や流行語評論家や俳優までやってみた結果、わけのわからないことに。著書に『金魂巻』『恨ミシュラン』あり。