「同じ炭水化物でも、細かく擂りつぶしたものと、粒のままのものでは吸収する速さがちがうんですよ。特にお餅は気をつけないと、どんなタイミングで糖になるか」

 糖尿病で食事療養している人の話である。どんなタイミングで糖になるかで、インシュリンの打ち方が変わる。だからこれは、彼にとってとても切実な問題なのである。それを聞いて、ピンッと来た。

 そうか、ソバメシとはこれだったのか。ソバメシに限らず、関西人はお好み焼きをおかずにゴハンを食べる。力うどんには、うどんと餅と天かすという三種の炭水化物を同居させている。同じ炭水化物でも吸収される速度が違うから、それを食べる人間は組み合わせをおいしく感じるのだ。そうに違いない。

 先日ワンコールワーカーという言葉を初めて聞いた。人材派遣会社の斡旋で働く人たちのことである。2004年に労働者派遣法が見直され、派遣対象業務が原則自由化された。製造業でも1日単位の派遣が可能になったわけだ。電話一本で「日雇い」できるから「ワンコールワーカー」と呼ぶらしい。

 企業側の言い値で働くから、最低賃金に近くなる。その上、毎日は仕事にありつけないから、月収にして10万円を切ることもある。それが、企業にとっては労働の貴重な調節弁などという。

 小泉政権の発足当初、雇用問題に際して盛んに使われたワードは「ミスマッチ」だった。就職先がないのではない。求人側と求職側の希望条件がずれるから失業率が下がらないのだと。口当たりのいい言葉だが、「能力のないやつが条件のいい仕事にありつけると思うな」と言っているに等しい。その結果が求人側のハードルを下げる派遣法だ。

 人間も炭水化物と同じく、熱に変わるスピードに違いがある。非熟練作業しか担当させてもらえなければ、何歳になっても能力は磨かれず、賃金は上がらない。いや、短期労働の世界ではむしろ、年齢が30歳を越えれば「扱い難い」と思われるようになるかもしれない。揚げ句に、とても生きていけないような条件を突きつけられ、それで働かないやつは「贅沢だ」「ミスマッチだ」と言われる。

 小泉内閣の延長線をたどる安倍内閣は、労働市場の模範をどこにおいているのだろう。かつて日本の失業率は世界的に低かった。それは、最低賃金など考えない農業労働者がいたからである。儲けは少なくても作物の実りに喜びを見出し、食えればしあわせという人たちが。 そうであれば、退職者も若者も、失業したら帰農すればいいと言うのだろうか。

 人間も炭水化物と同じように、この社会はさまざまに加工される。すぐエネルギーになるワンコールワーカーは、さしずめ最小単位に加工された小麦粉だろう。ふっくら炊き上げられて酢メシになったり、搗かれて餅になったりすることは、ない。そうなるための成長機会が与えられないからだ。一度小麦粉になってしまったら、腹もちのよいエネルギーにはもうなれない。そして、すぐに燃え尽きてしまう。

 安倍首相は、大切なのは「教育」だという。けれど、現実の社会はこうなっている。矛盾していないか。親の庇護を受けている間にどんなに良い教育を受けようと、卒業したら「粉」にされる。これではあまりに教育し甲斐がないではないか。

 つまり、こういうことか。教育は大層美しいもの。でも、その教育を受けて大人になったら放り込まれる労働の世界は邪悪なもの。それを許容するあいまいさこそが、日本の日本たる所以であると。

【注】このコンテンツは、以前に日経ベンチャー経営者クラブのサイトで「美しくて、あいまいな日本」というコラムの記事として公開されていたもので、Tech-On!に再掲いたしました。

著者紹介

神足裕司(こうたり・ゆうじ)
1957年広島生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。筒井康隆と大宅壮一と梶山季之と阿佐田哲也と遠藤周作と野坂昭如と開高健と石原裕次郎を慕い、途中から徳大寺有恒と魯山人もすることに。学生時代から執筆活動をはじめ、コピーライターやトップ屋や自動車評論家や料理評論家や流行語評論家や俳優までやってみた結果、わけのわからないことに。著書に『金魂巻』『恨ミシュラン』あり。