前口上

 1968年、ノーベル文学賞を受賞した川端康成の記念講演タイトルは「美しい日本の私」だった。それから26年後、日本人2番目のノーベル文学賞受賞者である大江健三郎のスピーチタイトルは「あいまいな日本の私」。では、『美しい国、日本』を掲げて首相になったものの答弁は「あいまい」に終始している安倍晋三総理は、川端と大江を両方やろうとしているのだろうか?

 私は「美しいとあいまい」に日々遭遇する。

 句会というものがある。なじみの酒場で、だれともなく始めた草句会だが、そのルールが大変面白い。メモ用紙に書かれた参加者の句は、誰が詠んだか明かされないまま、朗読される。参加者はそれが誰の句か知らないまま投票し(ただし自分の句に投票してはいけない)、多数決で勝者が決まる。

 俳句にたしなみがある人なら当然だと言うかもしれないが、これはグーグルに対して言われるところの「集合知」ではないか。知的価値を計るのに、熟達の専門家などいらない。たくさんヒットした知に価値がある。

 だが、句会にはもうひとつ副次的なルールがある。句が詠まれた時、それを声に出して批判しては行けない。笑い声もいけない。選者を誘導するからだ。

 ところが、罰金は100円だ。句会の面白みを増すため、1句を投じる時100円を同時に投じるが、その参加費と罰金を同額に定めてしまった。すると、誘導でなく、ただ我が意見を言うためだけに、100円を払う人が出る。ルール無用というわけだ。これがもし自分に有利に進めるための批判なら、美しくない。が、その人は、ただ率直に、他人の句を批判したくてうずうずして言う。

 それはルール外のルールである。古くは天の声と言ったりしたものだ。経済には、常にこうしたルール外のルール、美しくてあいまいなものが隠れているのではないだろうか。

塩ブームとは何か?

 塩とは塩化ナトリウムである。あるいは、サラリーマンのサラリーは古代ローマで兵士に支給された「塩」に由来する。上杉謙信は「敵に塩を送った」。

 塩は貴重で専売制でもあった。しかし、昨今の食品マーケットにおける塩人気は、塩そのものとは別なところから来ている。なるほど、塩のブランド化は多くの塩マニアを生み出し、マイ塩を持ち歩く者もいる。精製塩は純度が高すぎて「刺す」ともいう。塩に執着するには合理的な理由が、まあ、ある。

 しかし、美しくて、あいまいという見方によれば、塩とは純粋さの象徴。究極のピュアな味になる。逆に言えば、塩ブームとは昨今の不純な食べ物へのNOではないか。

 日本人が食品の安全へ不安を抱いた最初は1996年のO-157による食中毒大量発生からだ。雪印の牛乳中毒や偽装牛肉、そして2002年、日韓ワールドカップに沸く裏で、連日新聞におわび広告が載るという珍事もあった。香料会社が、規制されている添加物を使っていたのだ。

 だが、そうした事件になった食品よりもふだんの食事のほうに漠然と抱く不安のほうが大きい。日本マクドナルドは、2000年2月14日、創業30年を期して、平日半額セールをはじめた。ハンバーガー1個65円である。

 こんな価格が実現できた裏には、アメリカの食肉生産に起きた革命があったわけだが、ともかくそれは始まった。ハンバーガー2個に缶コーヒーで「300円亭主」という悲しい言葉が生まれる一方で、他の外食産業も追随せざるを得なくなった。いわゆるグローバルなコストダウンに、日本の料理店は竹やり戦法のような消耗戦を行う。外食ではもはや太刀打ちできず、内食、中食総連合で挑んだ。

 そして、これほど安く食べ物が手に入るのはなぜだろうという疑問が消費者に生まれてくる。メディアはもちろんこれに乗じて不安を煽る。危険な料理はもうやめて、という集合意見が「塩」ではないか。

 塩の反対は不純と書いたが、塩の反対はまた「素材」でもある。塩でしか味付けできないということは、素材がごまかせないということである。消費者は、「塩」と言うことによって悪役レスラーが隠し持っている「凶器」をあらわにしたのである。

 先日、大阪の堺で「塩」を謳った人気ラーメン店に入った。思った通りだった。大量の伊勢湾産のムール貝、地元泉州の野菜はじめ、採算を度外視した食材がスープに投じられていた。塩、と言うことはそれ以外のものを暗に示すことなのだ。

 スープは澄んで美しく、しかし、訴えるのは素材でなく、魔法の塩であるというまことにあいまいな一杯だった。

【注】このコンテンツは、以前に日経ベンチャー経営者クラブのサイトで「美しくて、あいまいな日本」というコラムの記事として公開されていたもので、Tech-On!に再掲いたしました。

著者紹介

神足裕司(こうたり・ゆうじ)
1957年広島生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。筒井康隆と大宅壮一と梶山季之と阿佐田哲也と遠藤周作と野坂昭如と開高健と石原裕次郎を慕い、途中から徳大寺有恒と魯山人もすることに。学生時代から執筆活動をはじめ、コピーライターやトップ屋や自動車評論家や料理評論家や流行語評論家や俳優までやってみた結果、わけのわからないことに。著書に『金魂巻』『恨ミシュラン』あり。