わが国のものづくりの伝統と品質へのこだわりは近年危機に直面している。身の回りでも安全・安心な社会を脅かす出来事が頻発し,1980年代以降の日本的経営の中心的テーマであった品質神話が崩れつつある。製造現場における人身事故,金融機関の統合システムやエアラインシステム,テレコムなど大規模システムに関わる障害,鉄道や航空機,発電所の重大事故など最近の出来事だけでも枚挙にいとまがない。

 その背景には様々な事情があるだろう。例えば,団塊世代からの世代交代により技術伝承の限界が露呈,次世代のものづくりを担う人材不足が深刻化している。情報システムの対象範囲が広がり,システム要件が複雑化する一方で,ソフト,ハード両面から仕組みがますます高度化してマネジメント負荷が増大している。企業の本来のミッションを忘れた品質「偽装」問題などは論外と切り捨てたいところだが,潜在的には幅広く存在している企業倫理の欠落やマネジメントの失敗など。これらの本質的問題のほんの一部が,表出したのかもしれない。

安全・安心を取り巻く四つのキーワード
安全・安心を取り巻く四つのキーワード (画像のクリックで拡大)

 今,日本のものづくりが,品質向上のため,そして安全・安心な社会を築くための取り組みに,本腰を入れなくてはならないのは明白だ。では,安全・安心な社会を築くためには,どのような取り組みが必要となるのであろうか。筆者は,図に示すの四つのキーワード,そしてそれを支えるための四つの技術が重要だと考える。この四つのキーワードを中心に考えることで,製品の安全・安心は高まるはずだ。

 しかし,製品をはじめ材料,デバイスなどの品質向上の取り組みを,これら研究開発や製造現場における直接的で技術的なものだけに限定すべきではない。技術的なものは目に見える取り組みなので分かりやすいが,それだけで完璧とはいえない。むしろ積極的に会社として取り組まなくてはならないのは,材料・製品をとりまくプロセスやシステムを最適化すること,更には企業経営においても品質を課題として捉える体制作りであると考える。

 そこで,本連載では,製品・材料の品質の定義と評価・改善手法を端緒に,プロセスやシステムの品質,更には企業の社会的責任も含めた企業経営の品質について議論していきたい。日本の品質神話復権に向けて,どれも欠かせない話題について,取り上げていく。

 第2回以降では,まず素材の品質の定義について考える。機能性と耐久性,更に信頼性について均質性や安定性のほか,ストレス耐久度などにも議論を広げて論じる。デバイスなどを含む材料の品質の定義とその評価手法についてもキーポイントをまとめる。製品にあわせた信頼性評価の手法とともに,コスト重視の経営に対して,健全な企業倫理に基づいた障害の合理的な未然防止策と,適切な事後処理策が必要であることも確認したい。

 介護用途などサービス範囲の拡大が進むロボットについては,従来の工業製品的な機能品質評価だけでなく,総合的な品質など,問われる課題とスコープも益々拡大しているなかでの品質と評価について論じる。素材・製品の品質とともに,地球環境保護に関わる国際標準化の動きを踏まえて,今後実現すべきものづくりの姿について検討を加える。

 続いて,ソフトウエアの品質を考える。最近取り組みが広がっているSOA(サービス指向アーキテクチャ),ソフトウエアのサービス化,オープンソース化という視点からみることで,「サービス」の「インターフェイス」にあわせた品質管理の考え方を検討する。

 更に,企業のビジネスプロセス,生産プロセスにも光をあてて信頼性向上の意味を探る。トヨタ生産方式で有名なカンバン方式において工程間在庫を極小化するには製品・工程の信頼性向上が必須となる。製品の品質,工程の信頼性と企業競争力の議論の橋渡しを狙う。

 最後は企業の経営品質で議論を締めくくる。企業経営者が,企業の「あるべき姿」について,具体的な理念・ビジョン・指針(行動指針)・方針を明確にすることで,社員一人ひとりに周知徹底を図ると共に,社員の自己実現のために,その動機付けと方向付けの重要性を認識することはガバナンスの基本となる。更に,企業の顧客価値創造のために,対象とする顧客を明確にすると共に,競合他社と比較して,優れた独自能力を維持・強化するために学習する組織風土と戦略の重要性を認識する。社員一人ひとりの満足度向上と職場環境の整備を通して,顧客満足度の向上とビジネスパートナーの満足度向上の重要性を認識することになる。

 本コラムは,金沢工業大学 高信頼ものづくり専攻および知的創造システム専攻の担当教員が執筆する。金沢工業大学では,21世紀の企業社会にむけて「ひとづくり,ものづくり」に積極的に貢献している。ものづくり研究所(金沢)および高信頼ものづくり専攻(東京)は社会的要請の高い工学諸分野において研究機能横断的な複合組織として高度職業人材育成を目指している。更に実践的な知的財産,ビジネスおよびITに関わる教育を行う知的創造システム専攻(東京)との連携によって,総合的な人材育成の場づくりに取り組んでいる。

著者紹介

殿村真一(とのむら しんいち)金沢工業大学知的創造システム専任教授(ビジネス担当)
新日鉄において新規事業の財務・オペレーション管理,M&A,SI事業企画等を担当。半導体会社の買収,海外IT企業との戦略提携,ベンチャー投資,ERP・SCMシステムの企画提案などを幅広く経験し,ビジネス成果をあげる。1999年,ヘッドストロング社(旧社名:ジェームスマーチンアンドカンパニー,本社:米国ワシントンDC)に転じて,製造物流分野のコンサルティング・リーダーを務める。2001年より日本法人代表。過去8年間に日本国内のビジネスはおおよそ10倍に拡大し,業務戦略,ビジネスプロセス改革,ITマネジメントに強いコンサルティング会社として一定の市場ポジションを獲得した。2005年より米国本社経営会議メンバー。