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技術経営戦略考

事故調査委員会の決定的な非科学性

  • 山口栄一=同志社大学 教授
  • 2007/09/11 12:39
  • 1/1ページ

 今から2年前の2005年4月25日に、JR福知山線で悲劇的な事故が起きた。上り快速電車が、伊丹駅を出発したあと尼崎駅に到着する直前の右カーブで左に横転し、1両目は近隣のマンションに正面から激突。2両目は横転しながら3両目に押しつぶされて「く」の字に折れ曲がった。この事故により、乗客・運転士あわせて107人が死亡、562人が負傷した。

 この事故の原因調査を2年かけて行なった航空・鉄道事故調査委員会(国土交通省所管)は、2007年6月28日に「塚口駅~尼崎駅間 列車脱線事故」と題する最終報告書を出し、事故の原因が結局のところ運転士1人にあると結論づけた。事故を起こした7両編成の電車は、半径304m(制限速度70km/h)のこのカーブに時速116kmで進入、運転士はその直後にブレーキをかけたものの時速105kmの時点で1両目が左に転倒するように脱線した。

 つまり、運転士のスピード・オーバーがこの事故の根本原因だとしたのである。この事故が「組織事故」にほかならず、経営システムのどこにリスクが潜んでいるかを追究しなければならないにもかかわらず、この最終報告書が「鑑定書」となって、JR西日本の刑事責任は問われないことになる可能性が高い。

 この顛末(てんまつ)は、「日本」という社会システムの技術マネジメントに絶望的なセキュリティ・ホールをもたらす。以下、なぜそう考えるかを説明しよう。

カーブが急になっても…

 第一に、この事故は「脱線」ではなく「転覆」であって、不確定要素をほとんど含まずに、既に提唱されている理論に沿って力学的にその転覆限界速度を求めることができた、という点。1972年に列車転覆についての理論を作った国枝正春氏の手法を用いて転覆限界速度を求めると、時速106km。実際の転覆は時速105kmを少し超えるスピードで起きているので理論とよく合う。したがって、伊丹駅から事故現場直前までの6.5kmにわたる直線区間(制限速度は時速120km)のどこかで運転士が人事不省や錯誤に陥れば、この転覆は必ず起きた。

 一方、もしもこの右カーブの半径が600mであったとして理論計算すると、転覆限界速度は時速148km。事故が起きることは絶対になかった。しかも半径600mの線路は現場に無理なく設置できた。なお、この線路はもともとカーブ半径600mと緩やかだったのに、1996年12月に付け替えられた際に半径304mとなったという。なぜ半径600mを廃止してわざわざ同304mにしたのか、報告書はその意思決定プロセスの分析を放棄している。

 第二に、転覆限界速度が運転士に伝えられていなかったという点。報告書に記載されたアンケートによれば、このカーブの転覆限界速度が120km/時より高いと考えていた運転士は半数に上る。技術には常に限界があるから、技術によって企業活動を行なう場合には、企業はその限界を常に科学的に知りぬき、その限界を技術の運用者に伝えねばならない。ところがJR西日本は、技術の運用者たる運転士にその限界を伝えていなかったということだ。

 なぜJR西日本は現場のカーブの半径を304mにしたのか。そしてそのときの転覆限界速度を、なぜ運転士に知らせなかったのか。それは、JR西日本自体が、技術の限界を知らなかったからだ。言い換えれば、この転覆事故は100%予見可能だったのである。

あなたの属する組織は科学的に考えているか

 事故が100%予見可能であった以上、その罪(社会的責任)は通常の事故とは比較にならないほど重い。ところが拙著に詳しく描いたように、JR西日本は「交通事故の事例から算定された補償基準」に基づいて、被害者に最小限の補償しか行なっていない。歩けなかったりPTSD(心的外傷後ストレス障害)で電車に乗れなかったりする被害者は、生活のためのタクシー代を自費で支払っているという。

 組織における科学的思考能力の欠落にこそ、この転覆事故の根本原因がある。ところがそれに目を向けなかった本報告書は、被害者賠償に対する会社の後ろ向きの姿勢を正当化するのみならず、100%予見可能だった事故の罪を問わないという禍根を日本社会に残す。

 報告書に救われた形になったJR西日本は、この報告書の結論をふまえて再教育制度を改めるという。しかし問題は、改める際の根本理念にある。科学的思考が欠落したまま制限速度や内規をひたすら守れという、幼子にしつけをするような教育ではなく、技術の限界を科学的に研究して自発的に使命感を高めるような教育に変革していかねばならない。

 そのためには、安全をスローガンとして叫ぶばかりではなく、問題の根本に下りて技術の限界を科学的に考える能力を植えつけることに、プライオリティーを置くべきだ。科学的思考をする組織能力の欠落は、日本の企業に普遍的に見られる現象である。根本に下りて考えることのできる組織を、いかにして築きなおすか。日本社会に突きつけられた課題は大きく重い。

著者紹介

山口栄一(やまぐち・えいいち) 同志社大学大学院ビジネス研究科 教授,同大学ITEC副センター長
1955年福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業(1977年)、同大学院修士修了(1979年)。理学博士(1984年)。1979年、日本電信電話公社入社。米University of Notre Dame客員研究員(1984年-1985年)、NTT基礎研究所主任研究員・主幹研究員(1986年-1998年)、仏IMRA Europe招聘研究員(1993年-1998年)、21世紀政策研究所主席研究員・研究主幹(1999年-2003年)を歴任し、2003年より現職。科学技術振興機構 研究開発戦略センター特認フェロー(2006年~)、文部科学省トップ拠点形成委員会委員(2006年~)。 アークゾーン(1998年)、パウデック(2001年)、ALGAN(2005年)の3社のベンチャー企業を創業し、各社の取締役。近著に、『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』(NTT出版、2007年)『Recovering from Success: Innovation And Technology Management in Japan』(共著, Oxford University Press, 2006年)『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版、2006年)など。

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。

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