世の中には、「気にしていなかったけど、よく考えてみたら何だかよくわからない」ということがよくある。

 日経エレクトロニクス誌の新米記者だったころ、編集部にある外国人ジャーナリストが出入りされていて、彼の口癖が「ところで、何かうれしいの?」というものだった。新製品の記者発表会があった後などに担当記者のそばにふらっと現れて、そう聞くのである。そう問われて、はたと困ってしまうことがある。メーカーのねらいや投入した新技術、新機能などについては詳しく取材しているので戸板に水のごとく語れるのだが、「それって本当にうれしいことなのか」とあらためて考えてみると、何だか自信がなくなってしまう。

快挙?

 もっと大掛かりな「何だかよくわからない話」もある。例えば、国家プロジェクト。そのプロジェクトの成果を評価する委員会などにときどき呼ばれることがあるのだが、そうした場で必ず聞かされるのが「なぜこの研究テーマを国家プロジェクトにしたのか」という説明だ。プロジェクトごとに内容は違っても、理由は毎回変わらない。「当研究は、極めて重要なのだがリスクが高い(つまり成功確率が低い)ので、企業では推進しにくい。よって国がその研究を推進するのである!」。そうかそうかなるほど、と思って聞き進んでいると、「研究は当初の目標を見事にクリアした」---つまり大成功したという結論に行き着く。

 極めてリスクの高い研究で成功と呼べるほどの成果を得たとすれば、これは快挙である。私がかかわった評価委員会での研究テーマは、すべて快挙であった。「あれ?」と思ってほかのテーマをいろいろ調べてみると、すべて快挙なのである。成功率がきわめて低い研究テーマを選んでいるはずなのにすべて成功するとは、どういうことなのだろうか。すごいことなのだろうが、何だかよくわからない。

 世の中には、このような何だかよくわからない話がたくさんあって、それを何だかよくわからないままにしておくことも、人々が平和に暮らしていくための一つの知恵であるということであるらしい。私もオトナなので、それはよくわかる。わかるけど、場合と程度というものがあるだろう。取り返しがつかなくなる前に、ちゃんと考えておかねばならない問題だってあるのだと、やっぱり思う。

 このところ、私が勝手に頭を悩ませている問題も、その一つではないかと思う。それは、中小企業に関する「何だかよくわからない話」である。

全部そろっているのに…

 よくテレビの報道番組などで「中小企業格差」とか銘打ち、地方にある中小企業の工場などが苦戦している状況が報じられている。そのような場合に必ずコメンテータが眉間にしわを寄せて、「いやぁ、日本の中小企業は世界でもトップレベルの技術力を持っているんですね。この強みを失ったら日本はどうなってしまうのでしょう」などとため息をつく。映像などを見る限り、本当に一生懸命働いている。それでいて、給料は大手企業に遠く及ばないという。

 みんな頑張っているんだな、エライものだと単純に感動してしまうのだが、ふと冷静に考えてみると、イマイチ釈然としない。世界水準の技術力を持っていて、しかも従業員は極めて勤勉で、加えて人件費が安くてコスト競争力が高い。これだけ競争力を構成する要素をそろい持っていながら、なぜ彼らは番組で同情されなければいけないほどの苦境に陥ってしまうのだろうか。そこのところが、よくわからない。

 2年前、中小企業の経営者を主な読者とする雑誌の編集に携わることになったこともあり、この「なぜ日本の中小企業は不振にあえいでいるのか」という問題について、多くの方に意見をうかがってみようと思い立った。その編集部の記者たちからは「いつも出歩いていて、どこで遊んでいることやら」と白い眼で見られていたと思うが、コンサルタントやエコノミスト、現役の中小企業経営者、その経験者、あるいは政治家などなど、実にいろいろな立場の方にお会いしては「オフレコ」でお話をうかがった。

 やはりみなさんものすごくよく考えていて…(次のページへ