宇宙は5次元になっているというリサ・ランドール博士の説がある。これが面白い。5次元とは、我々が暮らす縦、横、高さの3次元プラス「時間」、そして次が全く分かりにくいのだが「5次元方向への距離」なんだそうである。

 昔、ホーキング博士がビッグ・バン理論をほとんど分かったような顔でぶちあげたときと同じアナロジーがそこにはある。「ブラックホールはそう黒くもなく灰色で毛が生えている」と聞いたときは笑ったが、リサ博士も「私たちの世界はシャワーカーテンに張り付いた水滴」と言ったりするから、美人先生の私生活とかを思わず想像してしまう。そうじゃないんだろうけど。

 いや、私のような素人にもわかりやすい真実味はある。

 マサチューセッツ工科大学、いわゆるMITで素粒子を研究していたリサ博士は原子核を構成する素粒子の中で実験中にこの世界から姿を消すものがあるという矛盾にぶつかった。素粒子はどこへ消えたのか。小さい異次元やドーナッツ型のモデルを研究した結果、私たちの3次元をとりまく巨大な時空を理論上実証したのだという。

 ビビッときたのは、私たちに実感しようのない5次元世界を説明するため、便宜上私たちがもし2次元世界に住んでいたら、というたとえを博士が使っている点だ。2次元世界は19世紀末、英国の数学者エドウィン・A・アボットが小説『フラットランド』で描いた。タテヨコはあるが高さのない世界である2次元平面に丸い球がやってきて通過したとしたら、私たちには球でなく「円」がだんだん大きくなり、また小さくなってゆくようにしか見えない。

 ざっとこういうことを、NHKが「未来への提言」で放送していた。面白く見たのだが、5次元が2次元世界を通過する「円」なら、それは別に宇宙など想定しなくても身の回りにいくらでもある。

 株式市場はその典型だ。

 終戦記念日の週末、アメリカのサブプライムローン問題をきっかけに世界同時株安が起き、多くのファンドが大被害をこうむり破綻した。サブプライムとは「あんまり信用がない」人々向けの高金利な住宅ローンだ。

 20~30%という、日本なら「サラ金並み」とたとえられそうな高金利で住宅ローンを組み、家を買う人々が米国にはいるらしい。住宅バブルが膨らむうちは、それでもローンを払えた。ところが、住宅価格高騰が終わると、大問題になる。

 そんなこと当たり前じゃないか。

 ところがご丁寧に、欧米のファンドはサブプライムからあがる利益を証券化し、運用に組み込んだ。彼らがみつめるのは数字だけだからだ。普通の人間、素人にだって見える3次元球体が数字という2次元、というか1次元世界の彼らには見えなかった。

 1998年に起きた国際金融の歴史の中でも類を見ない世界最大級の金融破綻事件「LTCM(Long Term Capital Management)破綻」もそうだ。ノーベル賞学者を集めた世界最高のヘッジファンドには、ロシア経済のモラトリアムという要素が見えなかった。

 一方の私はこのところ、なんでもかんでも5次元に見える。

 そもそもリサ博士の5次元に惹かれたのは、タコヤキを食べ歩かなければならなかったからだ。大阪で食べ歩きのテレビ番組を担当している私は、料理が、特に関西の飲食店商売が魔可不思議に思えてならない。串焼きはどうだ。ほい、と出されたら「馬鹿にするな」と怒りたくなるような、例えば1/4にカットされた玉ねぎや獅子唐辛子1個が、あら不思議、串に刺されていれば1本80円で納得できる一品になる。780円のハンバーグ定食を供する洋食屋がメニューに平気でビフテキ5000円と書く。

 そして、タコヤキ。これぞ不思議の集大成だ。鉄板という平面で焼くお好み焼きが2次元とすれば、ラジヲ焼きにはじまるタコヤキは3次元である。ゆえに焼き手はぎゅうっと押そうとか、ふんわり仕上げようとかコントロールできない。外はカリッと中はトロッとが関西タコヤキの合言葉だが、その完成度はタコヤキ自身の内部に秘めた空気圧に任せるしかないのである。熟練のタコヤキ師はみな、見えない物を見る5次元超能力者であるに違いない。

 オヤジたちは若者に言う。お前たちはまだものが見えてないと。そう言われてしまう若者は、きっと二つの目でものを見ているのだろう。ところが、元来私たちは5次元世界の住人で、額の真中には3つめの目が備わっているのである。

著者紹介

神足裕司(こうたり・ゆうじ)
1957年広島生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。筒井康隆と大宅壮一と梶山季之と阿佐田哲也と遠藤周作と野坂昭如と開高健と石原裕次郎を慕い、途中から徳大寺有恒と魯山人もすることに。学生時代から執筆活動をはじめ、コピーライターやトップ屋や自動車評論家や料理評論家や流行語評論家や俳優までやってみた結果、わけのわからないことに。著書に『金魂巻』『恨ミシュラン』あり。