私はアーサー・D・リトルという、明治19年に米国で創業した最も古い戦略コンサルティング会社に勤めております。古けりゃいいっていうものでもないのですが、創業以来、技術やイノベーションのマネジメント一筋に120年もやってきました。今流に呼べば「MOTの老舗」なわけで、本コラムの属するテーマサイトの看板が「技術者/MOTが知っておきたい経営と市場の最新情報…」となっているからには出動せねばなるまい、ということで参上いたした次第です。

 で、今の世の中はどうかというと、好景気ということになっています。当局によれば、いざなぎ景気を超える長期的な好景気とのこと。本当に日本の景気が良いのかどうかについては、皆様いろいろとご意見があると思いますが、その判定の一助になる2つの法則があります。

法則1: 景気が良くなると、経営論が強気な和風になる
法則2: 景気が良くなると経営の悩みにWhat論が増える

 法則1の「和風になる」をもう少し具体的にいえば、「やっぱり日本のやり方も捨てたもんじゃない」という気運が盛り上がるということです。不況になると仕事の進め方そのものに自信がなくなって、いろいろと海外風の業務改革手法を導入することになる。ところが、不況を克服すると一転して「昔のやり方も、あれはあれで良かったんじゃないのか」と回顧調になるのです。リストラの弊害や社内情報の行き過ぎたIT化の見直しなどなど。

 法則2の「What論が増える」とは、不況期の業務改革断行の結果として獲得したスリムで強靭な企業の「肉体」をいざ使おうと思ったときに、「ところで、うちの会社って結局何を作れば、何を提供すればいいんだっけ」という疑問にぶち当たるといった現象を指します。ポートフォリオの原則に従って、コアコンピタンスに経営資源を注ぎ込み、優先順位の低い事業は外に出す。それを忠実にやってきた企業が、今後の世界的潮流の中で、どうしたら長期的に成長を持続できるのかという方向性を見付けられず、不安感に苛まれることになるのです。

過去にあった未来予測は今…

 技術開発や商品企画のコンサルティングをしている自身の皮膚感覚からいえば、業種を問わずこの国全体が「和風な業務プロセスに回帰」しつつも、「でも何を作ればいいのか不透明で不安」というご相談が多くなっているように思います。だからやっぱり景気は……とそれはともかく、今回は2つの法則のうち、私が極めて重要だと思っている「What論」について議論してみたいと思います。

 このWhat論を進める際に、しばしば登場するキーワードとして「変曲点の洞察」というものがあります。未来を予測するとき、単にこれまでの変化の積み上げからそれを延長した図を描くのではなく、もっと高い視座で世の中の流れを見極める。そうすれば、いつか訪れる潮目の変化、急にグイッと舵を切って変わるポイント、つまり変曲点が見つかるはずだという考え方です。

 ここで過去に行われた二つの代表的な未来予測を題材に取り上げて検証してみたいと思います。一つは大昔に遠未来を予測したもので、1901年(明治34年)に100年後の世界を考えた報知新聞の元旦特集記事(二十世紀の豫言)です。そしてもう一つの資料は1987年に経済企画庁(現文部科学省)が発表した、23年後にあたる2010年の世界像です。

 後者が科学や技術の各分野の専門家たちの英知を結集した精緻な未来予測だとすると、前者は無限に広がる科学の夢の世界を素直に描画したものという位置づけになるでしょう。明治34年といえば、科学工業が本格的な幕開けを迎える時代で、この年にはライト兄弟が無人ながら初の飛行機を飛ばし、マルコーニの無線通信はついに大西洋を越えました。日本でも国営の八幡製鉄所が稼動を始めたという時代なのですが、映画館も乗り合いバスも市電も公衆電話も普及の前夜で、庶民の暮らしぶりは中世の延長といった感じだったはずです。街道には自動車ではなく馬車や大八車が行き交い、もちろんラジオもテレビもまだありません。

電気で野菜を成長させる

 この報知新聞の予測を抜粋して検証してみましょう。(次のページへ