樂家という、450年続く家のことを書こうとしている。この家の初代は樂長次郎という人で、茶の湯の大成者である千利休と相諮り、樂焼という技法を編み出し、樂茶碗を創り出した。楽焼と聞くと「観光地などにある、素人手作りの素朴な焼物」を思い起こされる方が多いかもしれないが、本来は長次郎から続く樂家代々の作品を楽焼と呼ぶのである。

茶道や伝統工芸に興味をお持ちの方ならご存じかもしれないが、樂家は15代にわたり、まったく途絶えることなく「おちゃわん屋」を家業として作品を生み出してきた。その評価は歴史を経てもまったく下がることなく、初代なら数千万円以上、それ以降の代でも茶碗一つで数百万円以上といった値段で現在も取り引きされている。もちろん、450年という長い年月の間には、同じ技法を使って茶碗を作る工房や作家がいくつも現れた。しかし、樂家との交流の中から名作を生み出した「日本史上屈指の芸術家」である本阿彌光悦を除けば、樂家代々に比肩できる作品を生み出し得た者は皆無であろう。

私がずっと疑問に思っていたのは、樂家がなぜ450年15代という長きにわたって、茶道工芸の頂点に君臨し得たのか、ということである。代々家業を継ぐ家というのは、世に山ほどある。けれど、初代の威光を長い年月保持し続けるのは至難で、代を経るごとにパワーダウンし、やがては忘れ去られていくのが常だ。しかも子孫が事業を継承する場合は、実際の仕事は職人に委託され、当主はお飾りになっていくというケースが少なくない。

その方法でかろうじて家名を保っている例もあるだろうが、楽焼ではそれが許されない。粘土を、ロクロを使わずに手びねりし、釉薬(うわぐすり)を掛け、それを小さな窯で炭火をもって焼成するというすべての作業を、当主が一人で担うからである。弟子もとらない。唯一外部の人たちが関与するのは焼成の工程だが、彼らとて窯焚きの助手にすぎず、創作に直接かかわることはない。

こうした手法で15代にもわたって、他の追随を許さぬ高水準の工芸作品を作り続ける。これは奇跡に近い。2代や3代なら、たまたま優れた能力を持つ人が続いたのだろうということで片付けることもできるだろう。しかし、何と言っても15代である。何か、途方もない仕組みがあるに違いない。

そう私は考えて、謎解きを試みてきた。その過程で、気付いたことがある。代々の作品は、初代はもちろん、先代の作品の模倣でもないということだ。代が変われば、作風が変わる。何代かに一度は、大きく変わる。同じカローラという名を冠しながら、フルモデルチェンジとマイナーチェンジを繰り返しながら変化していく自動車のありように似てなくもない。

どうしてそうなるのか。それは依然として謎だったのだが、昨年、当代の樂吉左衛門さんにお会いする機会があり、ああそうだったのかと腑に落ちた。(次ページに続く