中国の製造業を20年にわたって研究なさってきて,当社のセミナーでも講演をお願いしたことのある東京大学教授の丸川知雄氏がこのほど『現代中国の産業~勃興する中国企業の強さと脆さ』(中公新書,2007年5月25日発行)という本を出された。さっそく読ませていただいた。

 「はじめに」の部分で丸川氏は,中国は多様で一筋縄では理解することは難しいが,「本書で提示する『垂直分裂』という切り口によって,中国の全身を貫く共通の構造を提示するとまではいかなくても,『胴体を輪切り』にするぐらいはできるのではないかと考えている」と書いている。書店でこの部分を立ち読みしていて「はて? 『垂直分裂』とは何だろう」と疑問に思ったことも本書を読んだきっかけだったが,現代中国の製造業の生々しい姿が描かれているように感じて,この土日に一気に読了した。

 丸川氏はまず,1990年代の初めには高かった日本の大手電機メーカーの日本ブランドのシェアが同年代後半になって低下し,中国メーカーがシェアを上げた要因を分析し,その要因を3つ挙げている。すなわち,(1)生産管理能力が向上し品質が向上した,(2)生産規模の拡大によりコスト低減を図った,(3)販売網やサービス網を充実させた,の3点である。しかし,実はそれ以上に重要な第4の要因があり,それが「垂直分裂」と呼ぶ現象だという。

 その「垂直分裂」とは,「経営学や経済学でいう垂直統合の逆の現象が起きていることを指す」(本書p.14)。つまり,コンピュータ産業で起こったように,製品の上流から下流に向かうバリューチェーンの各要素(例えばIC,コンピュータ,OS,応用ソフト,販売)のすべてを一つの企業が手掛けていたものが,バラバラに分離されて,おのおの別の企業が担うようになる現象である。

「なぜメディアは『水平分業』というのか」

 そこまで読んで,これってわざわざ「垂直分裂」とか言わなくても,「水平分業」という言葉がすでにあるではないか,と思いながら読み進むと,その直後になんと次のような記述があったのである(本書p.20-21)。

 日本の電機業界やマスメディアの中では同じ現象を指す言葉としてなぜか「水平分業」という言葉がよく使われている。この表現は日本の一部ではすっかり定着しているようで,私が「垂直分裂」という言葉を用いて説明しようとしても「水平分業」に「訂正」されてしまうということを何度か経験した。だが,「水平分業」という言葉は,国際貿易論で,国家間で工業製品を相互に輸出する貿易を行っている状況を指す言葉としてすでに定着しており,同じ言葉を用いてコンピュータ産業などで起こっている構造変化というまったく別の現象を指すのは混乱のもとである。

 筆者はまさに「水平分業」という言葉をよく使ってきたメディアの1人だ。この連載コラムでも,「スマイルカーブの『両端』と『中央部』---水平分業時代の競争力を考える」という文章を書いたばかりである。スマイルカーブは,横軸にバリューチェーンの各要素を,縦軸に利益率をとるカーブである。スマイルカーブという概念そのものは,バリューチェーンの各要素がバラバラになり各企業間における分業が進んだために生まれたと言われている。

「垂直産業」と「水平産業」

 一方で,電機業界では「垂直産業」と「水平産業」という言い方がよくされる。例えば,以前にソニーの社長だった出井伸之氏は,『迷いと決断~ソニーと格闘した10年の記録』(新潮新書)という本の中で,盛田昭夫氏が亡くなる直前の1993年に行った最後のスピーチの中の言葉「われわれは,もういっぺんアメリカを勉強しなおすべきではないだろうか」について,盛田氏が言わんとしていたことは,「垂直産業と水平産業の違いだった,と考えています」と述べている(本書p.48)。

 出井氏は,各部品のレイヤーごとに分業できる産業(例えばパソコン産業)を「水平産業」と呼び,1990年代に日米の経済が一気に逆転した背景には,米国のIT産業は「水平産業」の重要性にいち早く気づいて対応したが,日本は「垂直産業」の中をグルグル回っていて対応が遅れたことがあったとする。

 さらに出井氏は,その後もさまざまな分野で「垂直産業」から「水平産業」への転換が起きているのに,日本企業は「垂直産業の思考」の中にとどまっていると書く。典型的な「垂直産業」である自動車産業についても,「自動車産業が本格的にバッテリーカーにシフトするとき,産業全体が『水平化』の方向に大転換していくのは間違いありません」と警告するのである(本書p.49)。

 このように電機業界では,垂直産業における各要素がバラバラになって,各企業間で分業するようになる状況そのものを「水平(産業)化」や「ヨコ型」と言っている。しかも出井氏のように日本企業にとっても最も重要な視点であるという見方が多い。言い訳をするわけではないが,こうした水平産業における分業を「水平分業」と呼んでしまっているのは仕方のないことかもしれない。

「垂直分業」から「水平分業」へ