連休中のある日,本屋をブラブラしていると刺激的なタイトルの本に目がとまった。『新帝国主義論~この繁栄はいつまで続くか~』(武者陵司著,東洋経済新報社)である。なにげなく手にとって,パラパラとページをめくってみて「共同体内分業と共同体間分業」という小見出しが目に飛び込んできたので(同書p.163),さっそく購入した。このコラムでも何回かとりあげてきたグローバルな分業について,面白い知見が得られるのではないかと思ったからである。

 本書自体は,不況に陥っている国がほとんどないという好調な世界経済の原因を「帝国主義」というキーワードを軸に解明しようとするものである。本書をひと通り読んでみて,経済学に明るくない筆者でも,なぜグローバル化が進み,なぜ中国やインドが急速な発展をとげることができたのか,理由の一端が分かったような気がした。本書は様々な示唆に富んでいるが,ここでは先ほど注目した,共同体内分業と共同体間分業について述べているくだりを中心に紹介してみたい。

「共同体内分業」と「共同体間分業」

 武者氏は,国際分業を考える上で留意すべき重要なポイントとして,分業には「共同体内分業」と「共同体間分業」という二つの類型があることを挙げる。「共同体内分業」とは,例えば昔の村落の中で自然発生的に生まれた大工や鍛冶屋が原型となり,次第に規模が大きくなって工場における生産へと発展していった分業形態を指す。この共同体内分業の発展が,共同体の中の伝統的な社会的関係を解体し,産業資本主義を成立させた原動力となった。欧米も日本も,歴史的には異なる経緯をたどるものの,基本的にはこの共同体内分業という過程を経て,フルセット型の産業構造・産業国家を形成していった。

 これに対して「共同体間分業」は,その名の通り共同体同士の間で発生した分業形態である。こちらの歴史も有史以来というほど古く,マルコ・ポーロやベネチアの商人の時代から商業資本とともに発展していった。基本的には,遠隔地にある共同体で安くつくられたものを入手し,別の共同体のところで高く売るというもので,「共同体内分業」とは逆に,むしろ共同体内の伝統的な社会関係を強化し,資本主義に基づく産業国家の育成を阻害する傾向があるという。

「共同体間分業」の側面を持つ国際分業

 ここで重要な指摘が出てくる。国際分業に参加する(または否応なしに参加させられる)ということは,「共同体間分業」の側面を持つという指摘だ。それはとりわけ,中国やインドの経済発展にあてはまるようである。「中国・インドの分業の発展は,先進資本主義国がたどった,共同体内分業の発展,共同体の解体,自営農民の成立と階級分化といった過程とは別の分業,すなわち外から,上からの世界を相手とした共同体間分業という側面が強いのである」(本書p.37)。

 こうした国際分業においては,国や地域同士が相互に補完しあうために,得意な分野だけに特化する必要がある。当然,フルセット型の産業構造の育成は阻害され,扁平型の産業構造になることを意味する。「このように考えると,グローバル分業に参加し,国内産業が扁平型になることが,国民経済にとって,長期的に得策なのかどうかは,単純には結論が下せない問題であることが分かる」(p.167)と武者氏は書く。

 そこで問題になるのは,各国の企業は国際分業に参加するために,得意な産業分野をどうやって決めるのか,または作り出すのか,ということである。資本投下に対して大きなリターンが見込める「収穫逓増産業」を担当分野としたいところだが,そのカギを握るのが特定地域での産業集積である。例えば,IT産業が集積した米国のシリコンバレーやエンターテインメント産業が集積した同ロサンゼルス,日本でも京浜工業地帯や名古屋地区あたりは高度な産業集積を実現しているといえるだろう。

「ツララ」を成長させる最初の一滴

 産業集積が起こるきっかけは,意外と小さなことにある。たまたまいい気候だったり大学があったり,政府の政策があたったりしたから…といったものである。こうしたきっかけを核に徐々に大きく成長していくものだと言う。武者氏はそれをツララにたとえる(本書p.177)。なぜ特定のポイントからツララが成長するのかは,最初の一滴がなにかのきっかけでそこから落ちたからである。しかし,二滴目,三滴目は必ず同じポイントから落ちるためにツララは成長する。いったんこうした大きなツララ,つまり「比較優位産業」を育てて,それを国際分業における担当分野として固定してしまえばよい。

 ここで筆者が特に大切だと思ったのは,政策など外部からの力でツララのきっかけとなる最初の一滴をつくったり,成長をサポートすることはできても,ツララそのものは「自然に」成長するということである。ナノテクノロジーの用語で言えば「ボトムアップ」や「自己組織化」ということである。

 またこのツララの比喩のあたりを読んでいて筆者が思い出したのが,一橋大学 教授の関満博氏の書いた書籍『現場発ニッポン 空洞化を超えて』という本にあった産業集積の三角形について述べたくだりだ(このあたりのことを書いたコラム)。

「ツララ」と「三角形」