前回の当コラムで,日経ものづくり誌が4月10日に開催した「コラボレイティブ・ものづくりデイ2007」におけるセイコーエプソン 情報機器事業本部 ビジネス機器事業部 ビジネス機器企画推進部 副主幹の坂井佐千穂氏の講演の中から,「コトづくり」の重要性を強調したくだりを紹介させていただいた。

 同氏はスマイルカーブのなかで,日本の製造業はこれまで得意だった「中央部」(製造や組み立て工程)だけでなく「両端」(左端はマーケティング・製品およびビジネスモデル企画,右端は販売やサービス)にも力を入れるべきだとし,この「両端」を「コトづくり」と呼んでいる。前回のコラムでは,その前提として,スマイルカーブを成り立たせている企業間の水平分業についてとりあげたが,今回は「コトづくり」そのものについて考えてみたい。

「コトづくり」と「売りづくり」

 そもそも,なぜ「コトづくり」という言葉を使う必要があるのだろうか。例えば,坂井氏のいう「両端」は,マーケティングとか,サービスとか,ビジネスモデルとか言えば済みそうな気もする。そういえば,2006年9月に開いた「2006東京国際デジタル会議」で講演いただいた,松下電器産業 グローバル戦略研究所 首席研究員の安積敏政氏は「日本の電機産業がBRICs(ブラジル,ロシア,インド,中国)といった海外の新興工業国で勝ち抜くには『ものづくり』ではなく『売りづくり』に注力すべきだ」と主張されていた(以前のコラム)。

 筆者はご両人の講演を聴かせていただいて,共通した「メッセージ」を感じた。それは,製造や組み立ての工程を狭い意味での「ものづくり」だとすると,「ものづくり」は業務プロセスの「中央部」に位置するということになる。「ものづくり」で頑張り,そこで強いと言うことは,大きな強みには違いないが,一方でマーケティングや販売・サービスが手薄になっているのではないか,ということを指摘しているのである。「○○づくり」という言葉をわざわざ使うことによって,日本の「ものづくり」の強さと,その裏返しとしての弱い部分を明確にして,注意を喚起したということであろう。

 「コトづくり」で頑張ることが日本の製造業の競争力を上げる道だとして,では,そもそも「コト」とは何だろうか。リアルな「もの」の対立概念であることから考えるに,頭の中で考えたことはすべて当てはまってしまいそうである。

「コトづくり」とは設計情報である

 日本で最初に「コトづくり」という言葉を用いたと思われるトヨタケーラム社長の新木廣海氏は,著書である『日本コトづくり経営~トヨタで培った新シナリオ』の中で,「こういう『モノ』を造りたいという想念(コト)から始まり,設計(コト)が具現化して『モノ』になり,組み込みソフトウエアという『コト』が『モノ』に注入されて,『モノ』が機能するのだ。この過程で設計や,仮想試作品の作成に使われるものが『コト』の塊であるCAD/CAMであり,これも典型的な『コト』なのだ」(同書p.55,これに関連した以前のコラム)と述べている。CAD/CAMベンダーの社長だけあって,コトの中でも設計情報に注目し,その設計情報を効率的に流すためのツールであるソフトウエアの重要性を説いている。

 また昨年末,IBMビジネスコンサルティングサービスが『ものコトづくり---製造業のイノベーション』(日経BP社)という書籍を出版したが,その中で著者は「“コト”とは,製品である“もの”に付加価値を与えるサービス,ソリューションという商品,および商品を生み出すための仕組み仕掛けを含む」(同書p.6)と書いている。コンサルタント企業らしく,ビジネスモデルとしての「コト」の重要性を説いている。

直接的な欲望の対象を超える「コト」

 以上見ただけでも,製造業の現場に詳しい3人以上のオピニオン・リーダーの方々が,設計情報やソフトウエア,ビジネスモデルという言葉の代わりに「コトづくり」という造語をわざわざ使うのはなぜなのか。何か,特別な「事情」があるのではないか---。

 それを筆者なりに考えると,人間の直接的な欲望の対象としての「もの」に限界が見えてきて,それを超えるために「もの」に加えて人間の感性に訴えるための価値が必要になり,それを表す言葉として「コト」がピッタリ来るということがあるのではないかと思う。

 それを考える前に,そもそも「ものづくり」とは何か,ということに遡ってみたい。以前のコラムでも書いたように,元早稲田大学教授で国際日本文化研究センター教授の川勝平太氏の説を基にして見てみると,「もの」の起源は,17世紀から18世紀の旧アジア文明圏で花開いた木綿,陶磁器,お茶といった文物(もの)に対する欲望であった,ということになる。このときのコラムを読んでいらっしゃらない方のために,関連する部分だけを抜き出して再掲してみたい。

 ずっと以前,西洋諸国や日本は,憧れの文物を買い求めるために金(Au)や銀(Ag)といった貴金属を採掘し,交換していた。しかし,採掘量に限界が来たために,それら文物の代替物を自ら生産することにした。まず鎖国政策を採った日本では,有限の資源(土地)を有効活用して労働力を集約することによって生産性を上げた。一方,欧米諸国は旧大陸と新大陸を合わせた広大なフロンティアを開拓するために人が足りず,有限の労働力を有効活用するために蒸気機関が発明され,産業革命が起こって「近代世界」を形成していった。

 こうして近代世界においては,消費者の欲望をかきたてる「もの」をどんどん作り出すことで企業が発展していった。しかしそのうち,先進国ではそうした具体的な欲望の対象としての「もの」の神通力に陰りが見えてくる。衣食住というリアルな生活の中では,これ以上欲しいものがなくなってきた。その一つの解決策が,商品の構造を,ものに加えてある価値(=「コト」)を持たせることである。

他者に認められたいという社会的な欲望を満たす「コト」

 それは例えば,「もの」の本来の機能を使うために所有するのではなく,「もの」を持つことによって他者に認められたいという社会的な欲望を満たすために所有する,という状態をつくり出すことである。経済学者の岩井克人氏の書いた『ヴェニスの商人の資本論』(筑摩書房,1985年)という本によると,この社会的欲望には「他人を模倣して他人と同一の存在であると認めてもらいたい模倣への欲望と,他人との差異を際立たせて自己の独自性を認めてもらいたい差異化の欲望との二つの形態がある」(同書p.73,このあたりのことを書いたコラム)。

 このような「他者に認められたい」という社会的欲望を満たすための「もの」をつくるのは,単に「機能を満たすもの」をつくるのとは違う。消費者の動向を把握し,そうした欲望を能動的に作り出すような仕掛けを編み出すことが「コトづくり」ということになる。

「働くこと」自体が目的化した日本