先々週の2月28日,日経Automotive Technology誌の主催で,「AUTOMOTIVE TECHNOLOGY DAY 2007 winter --- グローバル競争を勝ち抜く部品メーカーの課題」というセミナーを開催した。その冒頭で,東京大学 ものづくり経営研究センター 特任研究員の伊藤洋氏に「インド自動車産業の動向」というタイトルで講演いただいた。最新のインドおよび製造業の状況を,豊富な体験と調査に基づいたデータおよび生々しい写真で紹介してくださった。時にはジョークを交えながらの軽妙な語り口に,筆者も「インド世界」に引き戻されたような感覚に襲われた。

 筆者が初めてインドの地を踏んだのは1977年3月,インドヒマラヤ(カシミール)にある山に仲間二人と登るためであった。標高6000mに満たない低い山だが氷河も抱え,ヒマラヤ初心者が手軽に登るにはうってつけだと思ったからだ。登山のルートや雪の状態などについては念入りに調べたが,「下界」についてはその当時,まったく興味がなかったのでインドそのものについてはほとんど知らない状態だった。しかもはじめての海外旅行…。

 最も安く目的地まで行くために,バンコク経由でまずコルカタ(カルカッタ)に入った。山の道具が入った大きなザックを担ぎピッケルをもった二人を待ち構えていたのは,膨大な数のタクシーの客引きだった。勝手にザックを持っていこうとするもの,手や服を引っ張ってどこかに連れて行こうとするもの,さらにはなにやらものを買えとか,お前の持っているものを売れとか,「バクシーシ(お恵み)」をよこせとか…。いろいろな人にもみくちゃにされながら,ひたすら前に進むことに集中して群集をかき分け,やっとリムジンバスの座席に落ち着いた。やれやれと一息ついて,ふと目をバスの外に向けると,驚くべき光景が広がっていた。こんなに驚いたのは,筆者のこれまでの人生のうちでも何度もない。これが「カルチャーショック」というものかと思った。

クルマ,リキシャ,牛,そして人,人,人…

 道一杯にクルマ,オート三輪,リキシャ(自転車で引くタイプの人力車),牛車,牛とかロバとかラクダとかの様々な動物,そして頭に大きな荷物を乗せて悠々と歩く人,人,人…。そこには様々なものがあふれかえっていた。クラクションが鳴り響き,怒鳴り声があちこちで飛び交う。50℃近い炎天下,人や動物やクルマが道路という「るつぼ」の中でエネルギーの塊となっている感じだった。あっけにとられて見ているとある運転手が,「チョロ!チョロ!」と叫んでいる。あとで聞いたら「あっちに行け!」とか「どけ!」という意味だった。筆者がインドで一番最初に覚えた言葉だ。それ以来,インドと言えばまっさきに連想するのは,「るつぼ」のような道路の喧騒と「チョロ!」という怒号だ。

 筆者はここ20年ほどインドを訪れていないが,伊藤氏の講演で最近の交通状況を写真で観させていただいて,かなり4輪車の比率は増えたももの,道一杯に様々な乗り物がひしめく様子は基本的には変わっていないようであった。相変わらず牛も悠々と歩いているという。ただし4輪車が増えた分,交通事故も増えている。伊藤氏は,「1回のインド行で(タクシーなどの乗車で)2~3回は追突される。喧騒の中からホテルに帰ってくると『今日も無事生きて帰ってきた』とホッとする」と語っていた。そしてそのホテルの2階から見た街の様子を映した写真には,筆者が20年前見たものと同じスラム街の光景が広がっていた。

「中国のチャイナドレス」と「インドのサリー」

 そうしたインドの生の姿の紹介のほかに,伊藤氏の話を聞いていて興味深かったのが,インド人と中国人の気質の比較である。サリーを着たインド人女性とチャイナドレスを着た中国人女性の写真を見せながら,インドのサリーにはサイズというものがなく,やせても太っても着れる便利な服で,インドの偉大な発明だと言う。これに対して,チャイナドレスは,購入後に太ってしまったら着ることができない。ここらあたりにも,変化に対してのんびり,ゆったりしているインド人と,変化に対して敏感な中国人の気質の違いが表れているのではないかと伊藤氏は語る。

 「悠久の国」とも言われるインドでは,時間がゆっくり流れている,というイメージを筆者も持っていた。しかし,1990年代に入ってからの規制緩和と自由化以来の経済発展に伴う変化は,中国にもひけをとらないほど大きなものである。GDPの成長率は10%近く,IT産業や自動車産業の状況は「1週間行かないと様子が変わっている」(伊藤氏)というほどだ。インド社会は,変わらない部分を残しながらも,一部の産業が猛烈な勢いで走り始めたということのようである。

 産業の発展に伴い,日々の暮らしにも事欠くような貧困から抜け出せる人たちも増えてきている。現状では,貧困層は人口の7割以上を占めるが,この比率は急速に減っており,中間層や富裕層が増えているという。インドには,48万ルピー(126万円)以上の年収を得ている富裕層および「中の上」の層は,1700万世帯,8000万人にのぼる。これらの余裕のある層の中から乗用車を購入するものも出てきている。

「見栄っ張りの中国」と「利便性重視のインド」