1980年代にDRAMでわが世の春を謳歌した日本の半導体メーカーは,1990年代に入って凋落の一途をたどった。DRAMに続いて,その後のSoC(system on a chip),さらには半導体以外の分野でも日本の電機メーカーは国際競争力を落としていった。DRAMの「敗因」を探ることで日本の電機産業が抱える本質的な問題が浮き彫りになるのではないかという問題意識から,様々な視点でその分析がなされてきており,ほぼ論点は出尽くしたかに見えた。

 しかし,このほど発行された『日経マイクロデバイス』誌2007年3月号に掲載された論文「日本はなぜDRAMで世界に敗れたのか,その敗因の根幹を検証する(1)」は,ごれまでの議論にさらに新たな論点を加えて提示するものである。その新たな論点とは,日本メーカーは先端技術を活かす技術戦略で海外メーカーに負けていたのではないか,という指摘である。

 筆者はこれまで本コラムでDRAMの敗因について,経営戦略や過剰品質体質,技術戦略でもコストダウン技術に問題があるという視点で書いてきた。しかし,その敗因が「先端技術戦略」にあるという上記の論文を読み,ついに「本丸」にまでメスが入ったか,という複雑な気持ちに襲われた。

 この論文の著者は,一橋大学 イノベーション研究センター 教授の中馬宏之氏と文部科学省 科学技術政策研究所 客員研究官の橋本哲一氏の二人である。社会科学者である中馬氏と自然科学者である橋本氏がタッグを組んで,2年がかりでDRAM量産品の各世代の技術内容とその際の各社の技術戦略を技術と市場の両面から明らかにしている。

Samsung,「慣習」を破って128Mビット品を製品化

 その分析内容については本論文をぜひ読んでいただければと思うが,圧巻は「HSG(hemispherical grain)膜」(半球状の多結晶Siを使って表面積を増やす技術)や「CMP(chemical-mechanical polishing,化学的な機械研磨によって平坦化する技術)」などの新しいプロセス技術が各社の各量産品にどのように導入されたかを明らかにしたくだりである。例えば韓国Samsung Electronics Co., Ltd.は,ITバブルを迎えた2000年,64Mビット品の生産がピークを迎える中で,1世代ごとに容量を4倍にするという従来の慣習を破って,128Mビット品を製品化した。パソコン市場は,256Mビット品よりも128Mビット品の方を望んでいると判断したのである。

 Samsung社は,市場のニーズにいち早く応えることを最優先し,新世代品の製品化を旧世代プロセスを使ってまず製品化する。そのためチップ面積は大きくなるが,その後本格量産する際に新世代プロセスを導入してチップ面積を縮小する戦略をとっている。その戦略は次のように進む。(1)64Mビットの初期量産品に,HSG膜を適用してチップ面積を縮小した縮小版をつくる,(2)64Mビット品向けのプロセス技術とHSG膜工程を組み合わせて128Mビット品の初期量産品をつくる,(3)この128Mビットの初期量産品に,CMP技術を適用してチップ面積を縮小する---。同論文では,こうした各世代の初期量産品と本格量産品にどのようなプロセス技術が採用されていったのかをチップ断面のSEM(走査型電子顕微鏡)像などを使って明らかにしていく。

 このくだりを読んでいて筆者が唸ってしまったのは,Samsung社や米Micron Technology, Inc.といった海外メーカーが新技術を市場ニーズに合わせて導入することの巧みさである。例えば,いち早く市場に投入されたより大容量のDRAMであれば,多少大きなチップであってもユーザーは受け入れると踏んだのであろう。そこで先行者利益を獲得して,その後他社も参入してきて本格量産する際にはじっくりと新技術を導入していく。しかも,その新技術を開発したのは自社ではなく,他社から技術導入したものである。ちなみに,HSG膜を開発したのは日本メーカーだ。

「欠けていたのは『知識活用力』」

 同様に大容量DRAMを早期に市場投入することで勝負してきたある日本メーカーは,新プロセス技術の開発では先行していたものの,「1世代ごとに容量を4倍にする」という慣習にこだわって128Mビット品を製品化しなかった。市場のニーズよりも「慣習」を優先したのであろうか。同論文では日本メーカーの敗因を次のように指摘する(p.47)。

市場競争に敗れた日本のLSIメーカーに欠けていたのは,開発した技術(知識創造力)を活用した製品戦略(知識活用力)であり,それを実現するための部門間の情報共有化の仕組みである。これらは,現在においても依然として,日本のLSIメーカーが正面から取り組むべき課題である。

 ここで言う「知識創造力」と「知識活用力」の間にあるのは,前回のコラムでも見た「死の谷」ではないかと思う。つまり,日本メーカーは死の谷を越える力,つまりイノベーションをする力に劣っていた(る?)ということになってしまう…。

ラジオのイノベーションを達成したソニー井深氏