前回のコラムで,正月の箱根駅伝の合間に流れるテレビCMを見ていて「垂直統合モデル」を連想した,と書いた。「品質は作る人の想いから生まれる」と製造工程を紹介する化粧品メーカーや「ものづくり魂で頑張る」と現場の技術者が宣言する自動車メーカーのCMを見ていて,実は,もう一つのフレーズが頭に浮かんだ。「ものづくり能力をベースにしたブランド戦略」である。

 というのは,箱根駅伝を見る前に前回紹介した『日経マイクロデバイス』の記事のほかに,『日経ものづくり』誌の最新号も読んでいたからであった。同誌には「直言」というオピニオン・リーダーの方に寄稿していただくコラムがあるが,2007年1月号では,東京大学大学院経済研究科ものづくり経営研究センター研究ディレクター・助教授の新宅純二郎氏が,「ものづくり能力をベースにしたブランド戦略」というタイトルの一文を寄せている(同誌p.210)。

日系企業はアジアでも「高品質」を目指す

 新宅氏が注目したのは,日系企業がアジア諸国に進出して製品を製造しても,現地のローカル企業よりコスト高になってしまうことが多い点である。同氏は,アジア諸国でのフィールド調査を通じて,その原因を「同じモノをつくっているのではなく,コスト高になるだけの高品質のモノをつくっているからだ」と見る。

 このくだりを読ませていただいて,筆者は複雑な思いにとらわれた。日本企業がアジア諸国で現地生産する大きな理由はコストダウンのはずだが,それでもなお高品質のものを作ってしまうのは,日本人の“性”なのだろうかと思ったのである。当コラムでも何回か書いてきたが,「過剰品質体質」が染み付いているのだろうか(この問題を採り上げたコラム記事1同コラム記事2などを参照)。

 もっとも新宅氏は,日本人のこの高品質のものをつくる特質をデメリットからメリットへ転化させることを提唱する。「収益力を高めるために,コスト競争力を高める努力は重要である。しかし同時に,極めて重要なことは,ものづくり能力の高さの一つとして製品に埋め込まれた高い品質の価値をユーザーに認めてもらうことである」とする。そのための有効な方策が,高品質を達成するものづくり能力をアピールするブランド戦略である。

「深いところからのブランド構築」

 新宅氏言う「ものづくり能力をベースとしたブランド戦略」は,「深いところからのブランド構築」とも呼ばれているようだ。同じ東京大学教授ものづくり経営研究センターで所長を務める藤本隆弘氏は,『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞社)という本の中で,欧州のブランド先進企業がデザインセンスやマーケティング面の演出などに長けているのに対して,日本企業は今から同じことをしていてもかなわないので,ものづくり能力や要素技術といった「深いレベルからブランドを仕込んでいく」ことが大切ではないか,と指摘している(本書p.321)。

 「ものづくり能力をベースとしたブランド戦略」にしても「深いところからのブランド構築」にしても,「高品質」を「過剰」ではなく「価値」に転化する逆転の発想といえそうだ。とすると,この戦略は,日本企業にとって今,最も重要な戦略と言えるのかもしれない。

 というのは,このブランド戦略は,製品がコモディティー化するのを食い止める働きをするのではないかと思うからだ。価格だけが製品差別化のポイントであるコモディティー製品に完全になってしまったら,いかにものづくり能力をアピールしても無駄だろう。コモディティー製品で勝負するなら,品質過剰体質にしっかり向き合い,徹底的にコスト競争力を高める必要があると思われる。

 しかし,「品質」がまだ何らかの形で差別化要因になっている製品については,積極的に高品質であることに加え,なぜ高品質を達成できたのかを要素技術やものづくり能力から解き明かしてアピールすることが大切になる。「安ければなんでもいい」と流れがちな顧客に対して,改めて高い品質の製品を持つ喜びを知ってもらう契機になるのでないか。「脱コモディティ戦略」の一種であるといえるのかも知れない。

ブランドとは「約束」である

 さてここで考えてみたいのは,「大切だ大切だ」と騒がれる「ブランド」または「ブランド化」ってそもそも何だろうか,ということである。インターネットの検索エンジンに「ブランドとは何か」と入れて調べると,様々な解釈がわんさかと出てくる。曰く「顧客が会社名から連想するその会社の○○らしさである」,曰く「その企業が持っている価値観,夢,信念といったアイデンティティーのことである」,曰く「顧客が感じる評価の総体,つまり要素に還元できない全体性をもったものである」…。

 いろいろとネットサーフィンしてみて,筆者が最もピンとくる解釈は,灯台下暗し,このTech-On!の中にあった。日経ものづくり誌の近岡記者が昨年10月19日に書いたブログ「工場や開発拠点の『ブランド化』のススメ---シャープの『KAMEYAMA』ブランドに学ぶべきこと」への,Tech-On!Annex会員であるZED氏のコメントである。ZED氏はこのコメント中で,「ブランドは実体のあるものではなく,『約束』である」と述べる。同氏のコメント全文を紹介しておこう。

「実体の有るものと無いもの」ZED氏の2006年10月28日付けノートより

 コラムの中では松下のエアコンの例から「技術力の高さやその効果を分かり易く訴えることの重要性」を説明し,「だから工場のブランド化も必要だ」とつなげています。しかし,冷静に考えると両者は別物ではないでしょうか。関連性が無いとは言いませんが。エアコンの例では「実在する機能」を訴えるのに対し,工場のブランド化は「有るか無いかはっきりしないけれど,多分有るだろう何か」を訴えるわけです。この違いは,ブランドというものが本質的に実体を持たないことに起因しています。

 教科書的な解釈では,「ブランドとは約束である」というところかと思います。「このブランドならきっと○○だろう」と思ってもらえる(この○○には「壊れ難い」とか「使い勝手が良い」などが入るわけですが),そんな○○こそが相手に対する『約束』というわけです。

 実在の機能や効果を訴えることと,実体を持たない「約束」を訴えること。この両者には「商売を上手くやるために必要な手段である」という程度の共通点はあるものの,アピールの方法や効果の測り方など,運用実態はかなり違うと思われます。

 実際,松下は機能のアピールは上手いものの,「Panasonicは(あるいはNationalは)○○だ」というブランド網羅的なアピールはあまりしていないようです。あえて言えば、昨年末のファンヒータ事故に起因する一連の対応は,(松下にはその意図はなかったでしょうが)強烈なブランドアピールになったでしょう。あの一連の事件を目にして「今後の松下製品は安心して使える」と感じた人は少なくないはずですから。

 でも、そのことと「今度の製品にはこんな安全機能を付けましたのでご安心下さい」と具体的な機能を訴えるのとは,やっぱり別物だと思うのです。

 では工場のブランド化とは何なのか? どうやるべきなのか? これについてはもうちょっと考えてみようと思います。

ブランドとは「時間的な蓄積と空間的な広がり」である