先週の12月1日,名古屋市で開催された第39回中部VE大会で「特別講演」をさせていただいた。主催者の方から頂戴したテーマは「日本のものづくりの課題と戦略 ~日本はいかにして,日本らしいものづくりをしていくか~」であった。

 遠大で重いテーマである。正直に言うと,これまでの筆者なら,テーマを変えていただくか,丁重にお断りしていたところだ。しかし,今回はこのテーマで話してみようと思った。1年半近く続いているこのコラムを書きながら考え,Tech-On!Annexの会員の皆様と議論させていただいた内容がまさにこのテーマだったからである。ということで本稿では,これまでのコラムの内容と重複する部分があることをお断りした上で,筆者が講演した内容の一部を再現し,さらに話し足りなかったことも若干補足して再構成してみた。

 「日本はいかにして,日本らしいものづくりをしていくか」というテーマは,私には荷が重過ぎるテーマでございますが,取材先の方々や読者の方々に教わったり議論させていただいた中から私なりに考えていることをを少しお話してみたいと思っています。

 「日本らしいものづくり」ということですが,もともと「ものづくり」という言葉自体,大変「日本らしい」言葉です。これは英語にしにくい,ということからも分かります。日経BP社では「日経ものづくり」という雑誌を2004年4月に創刊したのですが,筆者も創刊準備メンバーの一人としてかかわりました。その時,英語の誌名をどうするかで直前までスッタモンダした思い出があります(これに関連した以前のコラム)。

英語では表せない日本語の機微

 「Nikkei Manufacturing」ととりあえずしたのですが,ある外資系企業の方に「『Manufacturing』という言葉では米国人がイメージする概念に邪魔されて『ものづくり』というイメージが伝わりにくい」という忠告をいただきました。ではどんな英語だったら伝わりやすくなるでしょうかと聞きますと,その方は「むしろ,ベタにMonozukuriとでもした方が,先入観がなくて説明しやすいですね」とおっしゃったのです。冗談ぽく話されていたのでそのときはあまり真剣に考えなかったのですが,その後検討の末,結局その通り「Nikkei Monozukuri」で落ち着いた,ということがありました。

 英語にしにくい言葉は「ものづくり」以外にもかなりあるようです。2006年5月26日に日経Automotive Technology誌と日経エレクトロニクス誌の主催で自動車技術セミナー「AUTOMOTIVE TECHNOLOGY DAY 2006 spring」を横浜で開催しまして,マツダの新型(3代目)「ロードスター」の開発主査である貴島孝雄様に基調講演をお願いしました。そのときのお話で,貴島さんたちが製品開発に当たって重要なキーワードにしたのが「感性」や「人馬一体」という「日本らしい」言葉であったということです。これもやはり英語にはしにくいということで,英文の論文を書くときに,貴島さんたちは「kansei」や「Jinba-Ittai」という単語を使ったと語っていただきました(これに関連した以前のコラム)。

 こうしたエピソードを紹介しましたのも,英語にしにくい「日本らしい」言葉や概念にもとづいて「ものづくり」をすることの重要性が認識されてきた,ということを言いたかったからです。

「もの」とは何か

 では次に,そもそも「ものづくり」とは何でしょうか。「もの」とは何でしょうか。このあたりから考えてみたいと思います。

 ベタに考えますと,「もの」とはプロフェッショナルが顧客のニーズに基づいて品質,信頼性,耐久性などに責任を持ってつくりあげる工業製品,ということになります。その際に重要なのは,この定義に従いますと「もの」とは形あるハードウエアに限らないということです。ソフトウエアも「もの」であるわけです。

 これは主に作り手から見ました「もの」の定義ですが,今回はちょっと別の見方をしてみたいと思います。使い手から見ますと「もの」とは人間の生活を楽しく便利にする人工物,と位置付けられるのではないでしょうか。それは,生活を豊かに幸せにする一方で,一度その味を知ってしまうと,そこから逃れられず,欲望をかきたてられる「禁断のリンゴ」という側面もあるのではないかと思います。

 こうした「もの」と「ものづくり」の起源は歴史的に見てどのあたりにあるのでしょうか。人類史上,そうした人間の欲望をかきたてるような「もの」が登場して,地球規模で流通し始めた時期はいつか,ということを時間をさかのぼって見てみますと,17世紀から18世紀の旧アジア文明圏ということになっているようです。そのころ日本と西ヨーロッパは辺境の地にあって,中国やイスラム諸国で花開いた文物(もの)が憧れの的だったわけです。

 一部の日本人やヨーロッパ人はこれらの「もの」欲しさに海賊のような野蛮なこともかなりしたと伝わっていますが,やっぱりそのようなむちゃは続かず,やがて貴金属や銅を対価として払って輸入するようになりました。日本は戦国時代から江戸時代にありました。佐渡金山など,金・銀・銅の鉱山を発見・開発したのがちょうどそのころです。こういった鉱山から採掘した金属を使って主に中国から「もの」を買っていたわけです。

 一方,ヨーロッパ人は,アメリカなどの新大陸を「発見」してそこで貴金属を盛んに発掘しました。それで主にイスラム圏から「もの」を買っていたわけです。そのころの日本人やヨーロッパ人にとっての憧れの「もの」とは,木綿とか陶磁器とかお茶であったようです。

きっかけは,貴金属不足