「能書き」と「見えないマージン」が隙間なくフィット

 現場の技術者の仕事はまず,「仕様」から始まる。前述の例では,「バラツキを0.8μm±0.08μmにせよ」といったものだ。この「仕様」はトップダウンで提示される。その際にはこの仕様を提案する上流工程の担当者(デバイスの設計者であることが多い)は,企業トップのビジョンに基づいて,なぜこの仕様にしたのかを現場の技術者に説明する。つまりここで,「能書き力」が必要となる。

 このトップダウンによる「仕様」と先ほど見た現場が自ら作り出すボトムアップによる「見えないマージン」がうまく隙間がない状態で進行したときに大きな効果が発揮できたように思う,とN君は言う。

 これはつまり,上流工程の担当者による「仕様」の決め方が絶妙なのではないか,とN君の話を聞いていて思った。高すぎることもなく,低すぎることもない。また,詳細すぎること(個人レベル)もなく,大雑把すぎることもない。個人的な創意工夫による「見えないマージン」を発揮できる状態にあるときに,現場技術者のモチベーションは上がるに違いない。

「能書き文化」の限界

 これに対して米国では,「仕様」ないしは「能書き」を詳細に記述し,技術者個人レベルまで事細かに規定しないと仕事が進まない,という特徴を持つ。日本が「見えないマージン(気配り)文化」であるとしたら,「能書き文化」である。しかしこの「能書き文化」には限界がある。円山氏は冒頭で紹介したノートの下にある補足のコメント中で次のように書いている。

「能書き」文化は、「書かれていない/見えないことはやらない」欠点を持ちます。そもそも、技術も市場も不確実で、しかも時々変化する状況では、「能書き」を詳細に書いて維持するのは難しく、見えない隙間ができてしまいます。このため「見えないマージン」=前後左右工程への「気配り」は、変化対応力や製品信頼性の向上効果を示します。

 しかし,日本人が持っている「見えないマージン(気配り)文化」は時として,弱みにも転化する。どのような時に弱みに転化するのか。N君との会話や円山氏のご意見などを総合すると,チームの各メンバーが「ビジョン」を共有できるかどうか,にかかっているようである。

 国内半導体メーカーが「産業のコメ」とまで呼ばれたDRAMで韓国との投資競争で敗退したのち,同業界の内部もマスコミの論調も「DRAMはダメ,これからはシステムLSIだ」という意見に席巻されていたころ――N君は,このころからビジョンの共有が難しくなってきたのではないか,と見る。目標設定が比較的単純なDRAMに対し,システムLSIは複雑で,経営陣はその本質の理解に手間取って全社への説明(能書き)がうまくできなかった。経営陣の迷走は各現場のトップに伝わり,適切な「仕様」(これも能書き)を現場に提示できなくなった。現場は「見えないマージン」をつくる意味が見出せなくなり,モチベーションが下がって,人材が散逸することにつながっていった。

 円山氏は,「微細化のように原理と言えるほどに明快な目標が漸進的に進化していく状況では、方向性共有も簡単で『見えないマージン』は、品質向上にも有効に機能する。しかし、 [単純な目標設定では利益が出ない]=[ビジョン設定が難しくなってきた場合]、各メンバーの『見えないマージン』の方向が定められず、ベクトルがばらばらになり、マージン=余裕が、逆に、無駄=非効率となりはてる」と書いている。

「what」の比重が高まる

 さらに考えてみると,この強みが弱みに変ってしまうほどの大きなパラダイムの変化の背景には,「いかにつくるか=how」に加えて「何をつくるか=waht」の比重が高まってきたことがあるのではないだろうか。

 実は前回のコラムで紹介したある加工メーカーの社長が「これからの加工業はhowからwhatに構造転換しなければならない」と強調していた。

 この社長が言うこれまでの「howの加工」では,図面どおりに精度や高速という数値を向上することが目標だった。これに対して「whatの加工」とは,図面ができる前の段階から顧客と話し合って高い付加価値を持つ「機能」を創り出すことである。

 「whatの加工」は数値で表せないだけに複雑であり,ビジョンを明確化することは難しい。筆者は,加工業はもっとも典型的なhowの世界ではないかと思っていたので,加工業であっても「what」の要素が高まっているということを聞いて新鮮な思いであった。

 また社長の話を聞いていて分かったのは,この社長自らが複雑化したビジョンを社員に語っているのだということである。この社長の「能書き力」は高そうであった。これは,中小企業であるために数十人の従業員がいるこじんまりとした組織であることも大きい。円山氏の別コメント(「『パートナー』としての気概、そして、『ゼネラリスト』と『分業』」,2006年11月24日付)から引用させていただくと,「大工の棟梁レベルの小規模組織」である。

 また円山氏は,自動車業界が採用している「主査制」でも,主査がビジョンを明確化して「見えるビジョン」とすることによって,「見えないマージン」のベクトルをそろえることが日本車の高信頼性につながっていると見る。筆者はこれも,大企業の中にビジョンが浸透させやすい「大工の棟梁レベルの小規模組織」をつくるような試みではないかと思った。

 ただ,自動車業界における商品開発を半導体などの電機業界と比べると,製品の種類の数や開発サイクルなどがまったく違う。「微細化」などの統一原理が崩れた状況で,各製品ごとにビジョンを明確化するのは容易ではない。

「創造的対立」で「能書き力」を高める

 では,こうした電機業界が直面しているような状況の中で,ビジョンを明確にし「能書き力」を高めるにはどうしたらよいのか。円山氏はコメントの中で以下のように書く。

議論して和を作る「創造的対立」をマネジメントシステムに組み込んで、目標を共有することが、必要なわけです。詳細化しすぎた能書きは、技術者のモチベーションを下げ、変化対応力も落とします。能書き力と気配り力の両立は困難です。ただ、ミドル以上は、能書き力をつけなければなりません。その上で、製品企画などは、マーケティング、技術開発、製造、調達、品証の各部門等のミドルの現場感覚で徹底的に議論する。上位マネジメントが広く長めの視野で議論をリードし、目標を定めること、このあたりが日本での落としどころでしょうか。

 円山氏が言う「創造的対立」とは筆者の理解では,対立を表面化させて,しかし敵対はせず,創造的に議論をする,ということである。日本人はそもそも対立を表面化することが苦手で,いったん表面化すると敵対してしまって創造的な議論ができないという傾向があり,「創造的対立」は苦手である。

 しかし米国人にしても「気配り力」や「見えないマージン力」は苦手である。そして「能書き力」を上げることよりも「気配り力」を上げることは難しいのではないかとも思う。

 その意味で,適度な「能書き力」をつけて,現場の「気配り力」を生かす両立を達成できるのは日本の製造業なのではないかと思う。「能書き力」と「気配り力」を両立させたときに日本の製造業は本格的に復活する---というのは言い過ぎだろうか。

《読者の皆様へ》
 今回のコラムは,円山氏のコメントを読ませていただいたうえでの筆者なりの解釈を文章化したものです。円山氏の主張を正確に知りたい方は,コラム「半導体技術者にとっての「ものづくり」の喜びとは何か---元技術者N君との対話」に対するノート「『見えないマージン』と『能書き』の対称が印象的ですね。そして『ビジョン』」をお読みすることをおすすめします。Tech-On!Annexの会員登録をしていただければどなたもお読みいただけます。その上で議論に参加し,ご自身の「能書き力」を高めていただければと思います。