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究極の正義漢が書いた究極の提案書

谷島 宣之=日経コンピュータ副編集長、日経ビジネス編集委員、ビズテックプロジェクト担当
2006/07/10 17:21
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 唐突だが、Tech-On!読者の皆様はインターネットのWebページを読みながら食事をすることがおありだろうか。先日、「新聞はもう購読していない。朝食をとりながら、インターネットのニュースサイトを眺めるだけで十分」というコンサルタントにお目にかかった。ということは、Tech-On!を眺めて食事をとる人がいるかもしれない。

 少し心配になったので、冒頭でお断りをしておく。食事中に本サイトをご覧になっている方がいたら、ここから先の文章を読むのを中断し、食事を済ませていただきたい。また、これから食事をとりに行こうとしている方も、読み進むのを控えたほうがよいかもしれない。

 本題に入る。ありがたいことに本連載に読者の方からご意見をいただくようになった。インターネットのよい点は、双方向のやりとりが可能になることである。そこでこれまで数回、読者のご意見に基づいて、本欄の文章を書いてみた。今回もまた、ある読者の意見に応えてみたい。

 5月8日に「280年前に書かれた技術者礼賛~『ガリヴァ旅行記』を読む」と題した文章を公開した。『ガリヴァ旅行記』の著者であるスウィフトが、技術者を礼賛する文章を書いていたという話である。公開後、しばらく経った5月31日に、次のような感想が書き込まれた。

 自分自身が理学部ではなく工学部を選択した理由を思い出すコラムでした。技術は人の役に立ってなんぼ。改めて肝に銘じたいものです。
 ところで、スウィフトが生きた時代のアイルランドは、イギリスの植民地政策で搾取され、失業者だらけという状態だったそうです。そんな中で、祖国の窮状を救うおうとしていたスウィフトにとって、折角の知識を人々のために生かすことなく、知識のための知識に留めている「科学者」は苦々しい存在でしかなかったはずです。
 スウィフトの書いた論文には『貧乏人の子供が、両親及び国家の重荷となることを防ぎ、さらに彼らを社会のために役立たせる方法についての私論』というのがあるそうです。技術者として、また人として、背筋が伸びる気がする論文です。

 ご意見を一読して、筆者は「ははあ、『私論』について何か思うところを書け、ということだな」と思った。なぜそう思ったかというと、この私論はなかなか奇抜な内容であり、人によって色々な受け止め方があるからである。

 読者の方は、「『私論』というのがあるそうです」と書いている。とすると、この読者は私論の存在は知っているものの、読んではいないことになる。「技術者として、また人として、背筋が伸びる気がする」とあるのは、題名から得た印象なのか。そうではあるまい。この読者は、『私論』を読んだ上で、「私は背筋が伸びる気がしましたが、あなたはどう思いますか」とボールを筆者に投げたのだろう。

 スウィフトの『私論』は、『奴婢訓(ぬひくん)』(深町弘三訳、岩波文庫)に納められている。本書は長らく品切れであったようだが、2006年春の「リクエスト復刊」によって入手可能になった。岩波文庫における題名は、『貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての私案』である。

 ちなみに原題は、「A Modest Proposal for preventing the children of poor people in Ireland, from being a burden on their parents or country, and for making them beneficial to the publick」という。モデストとは穏健、プロポーザルは提案書のことである。したがって深町氏の訳をちょっと修整すると、題名は『アイルランドの貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての穏健な提案書』となる。

 『アイルランドの貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての穏健な提案書』は、インターネット上で読むこともできる。青空文庫というサイトに全訳が公開されている。

イラスト◎仲森智博
 青空文庫で読むとただであるが、岩波文庫を買うと460円かかる。岩波文庫を買うと、『貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての私案』に加え、『奴婢訓(ぬひくん)』が読める。『奴婢訓(ぬひくん)』は、召使頭、料理人、従僕といった奴婢に対する処世訓である。処世訓といっても、なにしろスウィフトが書いているので、「コップ類は小便で洗う、御主人の鹽の儉約のために」とか、「陶器類を貯っておく押入には必ず猫を閉じこめておく。鼠が忍び込んで割るといけないから」、「萬一、抜毛が料理と一緒に運ばれたら、給仕の従僕のうち恨みのある奴にかずけてやれば間違いない」といった調子のものが延々と並ぶ。本当に延々とこの調子なので、読んでいるとちょっと退屈ではある。

 話を戻す。『アイルランドの貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての穏健な提案書』は、次の一文で始まる。

このダブリンの町を歩き、又は田舎を旅行する人々にとって、街路や人家の戸口に女乞食が群り、襤褸を着た三人、四人、六人の子供達が後にくっつき、道行く人に施しを乞うている様を見ることは、實に憂鬱な光景である。

 スウィフトがアイルランドのダブリンに住むようになったのは、1714年のことである。当時、アイルランドは英国政府の政策により、極度の窮乏状態に陥っていた。岩波文庫の解説にある年譜によると「スウィフトは元来アイルランドが嫌いで、ダブリンに住まねばならぬ境遇を追放の身と嘆じていた位であったが、悲惨の國状を眼前に見るにつけて、持前の正義漢と義侠心が沸いて来た」。そしてアイルランドの救済を目指し、政治パンフレットをたくさん書いた。『アイルランドの貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての穏健な提案書』は1729年に執筆されている。

 乞食になっている子供はもちろん、子供を扶養する能力のない親のもとにいる子供を救おうと、スウィフトは「數年来この重要問題について思いをめぐらし、他の方々の計畫を慎重熟慮した」。そして「堕胎の防止と、あの私生児を殺す恐ろしい習慣(中略)いかに残忍不人情な者の胸にも同情の涙を催さずにはおかぬだろう、この習慣を、私案は防ぐことが出来る」と宣言する。

 先に述べたように、スウィフトは私案を思いつく前から、アイルランドの問題について様々な意見を述べてきた。例えば次のようなものである。

●不在地主に對し課税
●婦人の浪費癖の矯正
●節約、分別、節制の風を弘める
●國を愛することを知るようにする
●ある程度の慈悲心を借地人に對して持つことを地主に教える
●正直、勤勉、熟練の精神を商人に持たせる

 スウィフトは以上のような「空しい無駄な空想的な意見を提出することに疲れ、遂に成功の望みは全く絶つに至った」が「幸いにも(中略)私案を思いついた」と自賛する。「これは全く新着想であるから、これこそ眞に本物と感ぜられる所がある、費用はかからず、骨は折れないし、全然我々自身の権限内のことで、イングランドに迷惑をかける心配も絶對にない」。

 それではいよいよ、スウィフトがいう「新着想」かつ「本物」の解決策を紹介する。「穏健な提案」と題されているものの、なかなか画期的な提案である。

よく育った健康な赤ん坊は丸一歳になると、大變美味い滋養のある食物になる。スチューにしても焼いても炙っても茹でてもいいそうだ(中略)。先に計算した十二萬の子供の中二萬は子孫繁殖用に保留しておく。男はその四分の一でよろしい。(中略)残った十萬を丸一歳になったら國中の貴族、富豪に賣りつける。(中略)少量の胡椒、鹽で味をつけ、殺してから四日目に茹でると丁度よい。(中略)實際をいうと、子供を生きたまま買って来て、焼豚をこしらえるように殺し立てを料理する方法を私はすすめたい。

 こうすれば子供を売った両親は、次の子供を産むまでの生活費を手に入れられる。しかも「殺した赤ん坊の皮を剥ぐとよい、上手に加工すると、淑女用の立派な手袋、紳士用の夏靴が出来る」という利点もある。

 スウィフトはこの「穏健な提案」がいかに合理的であり、アイルランドに利益をもたらすかを説明していく。そして、みじめな暮らしを続けるより、一歳で食べられたほうが、その子供にとってもずっと幸福ではないか、と呼びかける。

 かような「穏健な提案」をスウィフトはなぜ世に問うたのか。岩波文庫の解説には「怒っても怒鳴っても駄目だから、皮肉と嘲笑で笑わせてやる」という気持ちで書かれた、とある。真面目な提案をたくさんしたものの、どれ一つとっても効果が出ない。ならばいっそのこと、激烈な冗談を書いてやる、というわけだ。

 しかし、筆者は『アイルランドの貧家の子女がその兩親並びに祖國にとっての重荷となることを防止し、且社會に對して有用ならしめんとする方法についての穏健な提案書』を読んだ時、笑うことはできなかった。スウィフトの強烈な正義感に気圧されてしまったからである。筆者のつまみ食い方式による引用ではお分かりになりにくいと思うので、もし興味を持たれた方がいたら、全文を通読いただきたい。文庫本でいうと、わずか8ページの短いものであるが、スウィフトがアイルランドの貧困に本気で憤り、イングランドの不正に本気で怒っていることが行間から伝わってくる。

 岩波文庫の解説には、こういう一文がある。「スウィフトは常に冷然としている。そして、恐ろしく生眞面目で、本氣である。(中略)極めて論理的である。そして、そこに感情が少しも伴わない。heartless logicである。スウィフトの風刺の本質は、理知と合理性にある。だが、合理性も論理の極端にまで行くと狂氣になることは、フランス革命などの證明する所である。rational madnessがスウィフトの晩年の作に見られる所以である」。

 物書きの一人として、筆者はできる限り、「冷然」かつ「生眞面目で、本氣」、そして「極めて論理的」でありたいと思う。しかし現実には難しい。どうしても感情的になり、それゆえに論理的ではなくなりがちである。不真面目ということはないのだが、スウィフトほど本気で何かに怒るということはほとんどない。ましてや論理の極端まで考え抜くことなどまったくないと言ってよい。

 筆者は日本人であるから、スウィフトのような西欧人になれるわけがない。ただし、heartless madnessを招いてでも、rational logicを追求する西欧人の姿勢はあっぱれと考える。rational logicによって、西欧は種々のテクノロジーを生み出した。今日の日本は、280年前のアイルランドとは比較にならないほど裕福であり、幸か不幸か「大變美味い滋養のある食物」を味わう機会に恵まれないが、この繁栄は西欧化とテクノロジーによってもたらされたものである。

 最後になってしまったが、6月16日付で以下のようなご意見をいただいたので、この場を借りて返信したい。

作家や文学作品をなんでもかんでも「技術者」としての視点で、強引に解釈することに何か意味があるのでしょうか。引用で知見をアピールすることはないので、自分の言葉で伝えたいことをそのままストレートに伝えた方が、「技術者」的でよろしいのではないですか?

 ご意見をお寄せ頂いたことにお礼を申し上げる。ただ、ここ数回書いているコラムの趣旨は、筆者が知っている作家や文学作品の中から、Tech-On!読者が読むと興味深いと思われるものを紹介することにある。したがって、強引に解釈しよう、知見をアピールしよう、という意図はない。引き続き、よろしくお願いします。

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