「人間の良心だけでは温暖化は止められない」

 この社長は言う。「温暖化ガスを減らすと同時に利益を得ることが大切なんです。人間の良心だけで温暖化を止められるはずはありません。利益がなければ誰も動かない。京都議定書もそれを認めているんです」。

 連休の初めにこんなドキュメンタリーを見たのがいけなかった。ガソリンスタンドでガソリンを入れるときも,価格が上がっているのを見て「これで排出権価格は上がるのだろうか」などと「排出権」という言葉が頭を離れない。

 まず気になるのは,投資会社の社長が言った「儲ける」という言葉である。儲かることと地球温暖化対策が連動するなら理想的なことに違いないが,そんなにうまくいくのだろうか。

 筆者の考えが至らないのかもしれないが,「儲かる」という表現が今のところ当てはまるのは,排出権価格の差を利用して稼ぐ投資家,削減義務を課せられずに排出権大国になれる中国のような国,削減義務が緩くて何もしなくても排出権を持てるロシアのような国および企業ではないだろうか。苦労して目標以上の削減を達成した企業の「儲け」はそれに比べるとかすんで見える。逆に,達成できない企業が儲かる側の原資を拠出することによって,損しているということにはならないのだろうか。

 それでも,経済メカニズムは必要であることは明白である。日本では省エネ技術が進歩しているためにエネルギー効率が高いことが背景にある。

 丸紅経済研究所長の柴田明夫氏が書いた『資源インフレ』(日本経済新聞社,2006年4月)という本によると,日本では,石油危機を契機に,省エネ・省資源化が進み,この25年ほど原油輸入量はほとんど増えていないのに対し,GDPは2倍になっている。GDPあたりの原油使用効率は2倍になっているのである。これに対して中国は,省エネ化を国家戦略として進めてはいるものの,日本の9倍以上もGDP成長に対するエネルギー効率が悪いのが実情だという。

排出権を購入することが競争力維持につながる

 その結果,日本の国内だけでこれ以上省エネ・省資源を進めて温暖化ガスの排出を抑えようとしても,コストアップになり,それが足かせになって国際競争力が低下しかねない。そこで日本企業はまず,コストの安い削減手段から順番に執行していって,排出権を買った方がコスト面で低くなった段階で排出権を購入した方が有利になる。

 ニューヨークのブローカーたちの働きもあって排出権の世界市場が立ち上がれば,経済メカニズムによって一物一価の法則が働き始め,いずれはどの国でも単位当たりの排出削減費用は同じになる。つまり,日本の多くの製造業にとっては,温暖化ガスの削減コストを常に最小限に抑えることで,結果的に競争力の低下の恐れも最小に抑えられるわけだ。

 日本企業はもともと優れた省エネ技術を持っている。しかしこれだけに頼るのではなく,経済メカニズムを利用したコストダウン手法を組み合わせることによって,コスト競争力の高い削減手法を確立することが重要であろう。

 地球的な温暖化対策そのものを考えても京都メカニズムは有効だという見方は多いようだ。例えば,排出権取引に詳しい大阪大学教授の西條辰義氏らは『地球温暖化対策』(日本経済新聞社,2006年1月)という本の中でこう書いている。

地球的規模で費用対効果を上げ,最小の費用で各国が自国の割当量を遵守するためには,京都メカニズムを地球的規模で無制約に実施するのが一番である。(本書p.66)

「俺たちだって腹一杯になりたいんだ」

 もう一つ考え込んでしまったテーマが,中国の経済発展がこのまま続いたらいったいどうなってしまうのか,という問題である。

 NHKスペシャルでは,優秀作業員に選ばれて給料が右肩上がりで伸び,月収4万円になったと喜ぶ炭鉱作業員の次の言葉が胸に刺さった。

先進国は先にガスをたくさん出して豊かになったんだ。自分が先に満腹になっておいてオレたちにはメシを食うなといっても無理な話だよ。オレ達だって腹一杯になりたいんだ。

 さらに映像は作業員がクルマの販売店を訪れるシーンと続く。試乗しながら「いつかはクルマを持って,家族と楽しみたい」とうれしそうに話す表情がアップになる。

 しかし,中国が先進国並みのレベルになることは無理なのである。日経エコロジー誌は2006年5月号で,環境問題で有名なアースポリシー研究所長のレスター・ブラウン氏のインタビューを掲載している(pp.46-49)。その中でレスター氏は,中国人の石油消費量が米国と同じになったら,中国だけで1日に9900万バレルを消費することになると試算している。この値は現在の世界の原油生産量すら上回るレベルになると分析したうえで次のように言う。

ただ,こういった状況は起こりえないでしょう。米国のような大量消費社会を,中国は実現できない。中国人が米国人並みに消費できるほど世界に資源はありません。

 その解決策としてレスター氏は,化石燃料を大量消費して自動車は乗り放題と言う先進国が実践しているライフスタイルが「プランA」だとすると,中国には再生可能エネルギーを中心にして二酸化炭素排出量を大幅に下げる「プランB」というライフスタイルを提案している。その一例として,中国では有線電話でなく携帯電話が普及したために銅資源を使わなくて済んだ例を挙げている。

 このインタビューで印象的だったのは,インタビューアーが米国人であるブラウン氏に「プランBへの移行は米国が率先すべきでは」との質問に対するブラウン氏の答えである。「残念ながら現在の米国が,プランBへの移行を真剣に考えているとはとても思えません。イラク問題を見てもわかるように石油をどう確保するか,ということが関心事です」。

 NHKスペシャルに登場した,炭鉱で必死に働く作業員を思い浮かべてみても,「俺たちはプランAを続けるけど,君たちはプランBで我慢してね」という考えそのものに彼らは反発していたのではないだろうか。

資源争奪戦に邁進する米中

 結局は,米国はプランAを維持するため,中国はプランAに近づくために,有限な資源を取り合っている,というのが現状なのであろう。

 前述の書籍『資源インフラ』でも,中国の資源獲得熱は高まる一方だという。2005年5月には「国家エネルギー指導小組」(戦略会議)が発足し,潤沢な外貨準備を使って資源そのものや権益を買わせる戦略を推し進めている。中でも「パラノイア」的に活動しているのが中国版オイルメジャーズ3社(CNPC,SINOPEC,CNOOC)で,既に世界49カ所の油田権益を確保しており,世界30数カ国で65カ所の探査・開発プロジェクトを展開中だという。さらには,中国はイランとの間に石油パイプラインを設置してイランの石油の大半を中国に呼び込む考えのようで,サウジアラビアにも食指を伸ばしており,米国との軋轢が強くなるのは必至の状況だという。最近の原油高騰の原因の一つに,米国と中国の資源争奪戦があるのは間違いないところである。

 こうして資源価格は高止まりする様相を見せているが,こうした状況の中で日本の製造業にとってますます重要性を増してくるのが,やはり省エネ技術や新エネルギーの技術開発であろう。資源価格が高止まりすれば,日本企業が得意とする高度でコスト高の省エネ技術や水素などの新エネルギー技術でも採算に乗って来る。ブラウン氏がいう「プランB」に最も近いところにいるのは,資源貧国で京都議定書でも最も厳しいといわれる削減目標を課せられている日本なのかもしれない。