先だって、ある銀行の元頭取に会いに行った。目的は取材ではなく、筆者の近況報告であった。長年担当していたコンピュータ雑誌を離れ、技術経営戦略誌「日経ビズテック」という妙なメディアを作り始めた頃から、時折おじゃまして状況を説明していた。昨年末までに日経ビズテックを10冊作りました、2006年は紙媒体ではなくインターネット媒体として情報発信します、といったことを話した。

 日経ビズテックのテーマは「イノベーション」であった。ビズテックにおいては、イノベーションを、世の中に影響を与える新しいものを作り出すという意味で使っていた。素晴らしい技術革新を成し遂げたとしても、世の中に影響を与えなかったら、それをイノベーションとは呼びにくい。もっとも、当の日経ビズテック自身がなかなかイノベーションを実現できなかった。筆者の力不足としかいいようがない。

 日本におけるイノベーションの重要性について元頭取と話していた時、元頭取はこんなことを言い出した。「銀行員ってよその会社で使えると思うのだがどうかねえ」。筆者は自分のことを棚に上げ、「銀行員ほどイノベーションから遠い人々はいないのでは」と失礼なことを思ったが、さすがにそうは言えず、「というと?」とだけ言ってごまかした。

 すると元頭取は続けた。
 「銀行員と聞くと、世間の皆様は色々な感想を持っておられると思うし、自慢に聞こえると困るが、やはり客観的に見て、銀行には優秀な人材が入っている。支店長をやれば、相当な経験をするし、人脈は非常に広がる。相手が言っていることが本当かどうかを見抜く力がある。当然、金勘定には強い。ベンチャー企業にせよ、大手企業にせよ、イノベーションをやろうとしたら、銀行員のような人材が必要ではなかろうか」
 「確かに、新しい技術や製品を生み出す人は、お金に弱い場合がありますからね」
 「幸か不幸か、今、銀行においては人が余っている。余っているといっても皆、優秀だ。もっと言えば、定年退職した人だって、まだまだ働ける人が多い。こうした銀行員を、色々な会社に送り込んだらいいと思う」
 「銀行員を幹部で迎え入れるというと、あまりいい印象を与えないのでは」
 「銀行管理下に入った、と言われるわけだね。その問題は確かにある。銀行のほうも、幹部を送り込むとなると、取引のことであれこれ考えてしまうし。例えは非常に悪いが、マネーロンダリングのような仕組みがいるのだろうね。銀行を退職して直接行くのではなく、いったんどこかでワンクッションおく。エグゼクティイブリサーチ会社を使えばよいかもしれない」

イラスト◎仲森智博
 ここまで聞いて筆者はあることを思ったが口には出さなかった。すると元頭取は自分からそのことに触れた。
 「ただし、イノベーションに取り組む製造業で銀行員がやれるのはナンバーツーのCFO(最高財務責任者)までだね。社長は絶対にやらせてはいけない。社長は技術者、あるいは技術が分かる人がやらないとダメだ。イノベーションに挑戦するということはリスクをテイクして勝負に出ること。乱暴に言えば博打だね。『誰が何と言おうと、俺はこの技術に賭ける』と言い切る、これは銀行員にはできない。リスクをヘッジするのが銀行員の仕事だから」

 元頭取の事務所を出て、帰社する途中、ジェームズ・ダイソン氏が元頭取と同じ意見を書いていたことを思い出した。ダイソン氏は本欄で何回か登場した、紙パック不用掃除機の発明者である。自伝「逆風野郎!」にダイソン氏は次のように書いていた。

 「イノベーションに必要なのはモノを作る人で、経理屋じゃない。新しいことを進めるときに最も向かない人種が、コストを管理する人間なんだ。もちろんそうした人を必要とする分野もあるけど、本人がトップにつくべきじゃない」

 ダイソン氏は起業直後、請求書の発行から入金確認まで自分で手がけていたという。「エンジニアがすべてをやることが望ましい」とするのがダイソン流だが、誰でも同じことができるわけではない。技術と製品開発に自分は専念し、営業や金勘定を任せられるパートナーが見つかれば、それはそれで結構なことである。すでに語り尽くされていることだが、ホンダ自動車の創業者とナンバーツーのような組み合わせが一つの理想型なのであろう。

 最後に蛇足を書く。先に引用した文の数行前に、ダイソン氏はこんなことを書いている。

 「プロジェクトの発案者がいなくなるのはどんな場合でもよくない。プロジェクトに自分をかけ、最後までやり抜くことができるのは発案者だけなんだから」

 なんとも染み入る言葉である。筆者は本年から、日経コンピュータ副編集長兼日経ビジネス編集委員という肩書きにさせられたが、「ビズテックプロジェクト担当」という肩書きを自分で勝手に追加している。筆者がダイソン氏のことをあれこれ書いているのは、あやかりたいと思っているからである。

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