【図1】イオン・チャンネルの電顕写真。染色することによりイオン・チャンネルが黒色になって見えている(クラレ)
【図1】イオン・チャンネルの電顕写真。染色することによりイオン・チャンネルが黒色になって見えている(クラレ)
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【図2】多孔質基材に電解質を充填して膨潤を防ぐ(東亜合成)
【図2】多孔質基材に電解質を充填して膨潤を防ぐ(東亜合成)
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 「予算の季節」が一段落したら会社の引っ越しがあり(新住所はこちら),バタバタとしていたら,今度は半期に一度の「人事評価の季節」がやってきた。何十人もの評価を決めるための会議がごまんと開かれるので,それに出席しなければならない(こちらが私の本職…)。例によって,手帳のスケジュール欄がどんどん黒く塗りつぶされていく。気がつけば,ナノテク・新素材サイトのマスターとしてぜひカバーしたいと思っていた「第2回国際水素・燃料電池展」(2006年1月25~27日,東京ビッグサイト,Tech-On!の特設報道ページ)に行ける時間が初日である1月25日の午後しかないではないか!

 当日——。午前中に評価者(部門長など)同士が集まって「難しいことに挑戦したからAで。いやそれくらいならBでは」などとキワドイ会議を4時間近くかけて行った後,急いでビッグサイトに向かう。先ほどまでの激しい議論の内容が頭をぐるぐる回り,上の空で国際展示場駅に降り立つ。

ビッグサイトの青い空

 真っ青な空に,ビッグサイトの威容が陽光を受けてまぶしくそびえている。逆光に向かってゆっくり歩きながら,徐々に頭を「評価」から「燃料電池」に切り替えていく。さあ今日は何を取材しようか,どんな「掘り出し物」があるだろうか。これまで何十回展示会を取材してきたか数え切れないが,活気のある会場の入り口に近づくと,いつも心が浮き立ってくる。さっきまでの議論でささくれ立った心が徐々に癒されていく。

 筆者にとって展示会取材の醍醐味の一つは「原理」的な発見をすることではないか,と思うことがある。といっても物理学上の大発見ということではなく,あくまで自分が今まで知らなかったことが「なるほど」と分かるだけのことである。大げさに言うと,私的な知識体系に新たな「ストーリー」,または新たな「ページ」を加える,といった感じだろうか。今回の燃料電池展における筆者にとっての新たな発見は「携帯機器向けに実用化が近いDMFC(ダイレクト・メタノール燃料電池)向けの電解質膜が膨潤してイオン・チャンネルが広がり,メタノール・クロスオーバーが顕著になる」ことであった。

 「イオン・チャンネル」とは,電解質材料中のイオンの通り道である。イオン・チャンネルの働きを理解するために,燃料電池の基礎にさかのぼって見てみよう。燃料電池は,2つの電極で電解質を挟んだ構造の発電装置である。2つの電極とは,燃料(DMFCの場合メタノール)を供給する「燃料極」と,空気を供給する「空気極」だ。

 燃料極では触媒(白金など)の力によって水素分子やメタノール分子が水素イオン(H)と電子に分解する。電子は外部の回路を通って発電装置としての「仕事」をした後,空気極に到達する。一方,水素イオンは電解質を通って空気極に達し,再び触媒の力で電子・酸素と反応して水が生成する。

 燃料電池は,電解質の材料に何を使うかで性能が決まる。DMFCやPEFC(高分子固体電解質型燃料電池)で使われる電解質はポリマーであり,スルホン酸基(−SO3H)を持っている。これが水の存在下でイオン化してスルホン酸イオン(−SO3-)となる。イオンはさらに凝集してクラスターを形成する。一方で,水素イオンも水の存在下で水和物(H3O)となり,親水性のイオン・クラスターに沿って透過していく。イオン・クラスターが通り道のように働くのでイオン・チャンネルと呼ばれる。

イオン・チャンネルの「証明写真」

 このイオン・チャンネルが大きく,連続的にきちんとつながっているほど,水素イオンが通りやすくなる。イオン伝導性が高いほど,燃料電池としての性能を高められる。イオン・チャンネルの大きさは,nmレベルなので,分析するのは難しかったが,ここにきてその挙動を解明しようという動きが活発になってきたようだ。

 例えば,燃料電池展のあるブースではイオン・チャンネルの写真が展示されていた(図1)。イオン・チャンネルは,ネットワーク状になっており「このネットワークが緻密に絡んでいるほどイオンが通りやすいんです」と写真付きで説明されると思わずうなずいてしまう(Tech-On!の関連記事1)。

 イオン・チャンネルの働きについて考えながら会場をブラブラ歩いていると1枚のパネルに目がとまった(図2)。DMFC向けの電解質膜を無数の孔が空いている基材に充填するというイラストだ。説明員の方に話を聞くと,膨潤しないポリオレフィン系のフィルムに孔をあけて,そこに電解質材料を充填する。すると,ポリオレフィンフィルムが電解質材料の膨潤を抑え込み,イオン・チャンネルが広がらずにメタノール・クロスオーバーが起きにくいと言う(Tech-On!の関連記事2)。

 DMFCの性能を向上するには,メタノールが透過してしまうメタノール・クロスオーバーを抑えることが重要である。そのためには膨潤を抑えなければならないという。説明員に「膨潤が問題だったんですか?」と聞くと,「ええ,1つの重要なポイントですね。そのために皆,苦労しているんです」との答え。

 燃料電池の材料をウオッチしているつもりでもこんな基本的なことを知らなかったのだから情けないのではあるが,自分としては新しいことを知って,楽しくてしょうがない。「膨潤」という視点で改めて電解質材料を見てみると,膨潤を抑えるために異種の材料と組み合わせるハイブリッド型(Tech-On!の関連記事)と単体材料で工夫する2つの道があることが分かる。ハイブリッド型は膨潤を完璧に抑えられるが,加工プロセスのコストダウンが難しそうである。

膨潤抑制と伝導性向上を両立させる材料設計とは

 一方の単体材料の方は高次構造に工夫を加えて,膨潤と導電性の両方を持たせる難しい材料設計になりそうである。そういえば,最近の電解質膜には,芳香族炭化水素を使うことが多いが,剛直な芳香族を使う理由は,耐熱性や強度のほか,膨潤を抑える意味もあるのではないか。剛直な骨格とイオン・チャンネルをnmレベルで構造制御する際にも膨潤をどう抑えるかがポイントになるのではないか---と想像は膨らむ。

 「そうだ。さっき『材料の話は勘弁してください』といっていたあの担当者に,『ところで膨潤はどう抑えているんですか?』と聞いたらどう反応するだろうか。その表情で材料組成を類推しよう」と思いついた。さっそくその担当者のいるブースに行こうとしたら…。もう会社に帰らなければならない時間ではないか。

 部下と評価面談の約束をしていたのである。筆者の「楽しい時間」はこれで終了。「燃料電池」から「人事評価」に再び頭を切り替えながら,来た時よりは少し元気になって,小走りで国際展示場駅に向かったのだった。