さらに、そのポジショニングには裏があった(と私は思っている)。それはワインである。彼は研究開発を楽しむが、人生をも楽しむ。彼といるとその慌ただしさに振り回されるが、楽しい。「日曜日、2時だよ、バーベキュー付き」、私の研究室のドアを開けて、そう怒鳴って、答えも聞かずに飛んでいった。彼の借家はスタンフォード大学のすぐ南の森の中にある。そこに彼は一人の女性と暮らしていた。ほとんど奥さんのように見える。私が「奥さん」と言うと、彼は決まって「ガールフレンドだ」と訂正する。結局2人はSonoma Valleyに住み着いた後、結婚した。

 日曜日の2時には8人くらいの仲間が集まり、ひとしきりバレーボールで汗を流す。私はバレーボールが不得意なのでボール拾いに徹する。4時過ぎから野外でのバーベキュー大会になる。食べ物は各自が持ち寄る。酒はもちろん、ビールではなくワインである。彼は極め付きのワイン好きである。家には大きなワインクーラーがあり、そこから色々持ち出してくる。彼の能書きは長い。葡萄の種類から、取れた場所や年代くらいまでは何とか聞いていられる。しかし、色、香り、味を言われても、ワイン素人の私にはその微妙な違いは分かりにくい。

 ワインと共存できる研究開発の環境がSonoma Valley にあるH社の高周波研究所であった。彼は首尾よくそこへ落ち着いたのである。Sonoma Valleyにも出張の折に一度立ち寄ったが、彼は「最高の人生だよ」とでも言いたげな顔をしていた。これもエンジニアとしてのポジショニングなのだと感心したものである。

50歳を少し超えたばかりで引退した、米国の友人B君

 「俺は引退するよ、今からは悠々自適だ」と、米国の友人B君はそう宣言して会社を辞めた。まだ50歳を少し超えたばかりである。米Fairchild社を皮切りに実に多くの会社を渡り歩いた。どの会社も3年から5年くらいで卒業して次へ移る。そのたびにポジションと報酬は良くなっていたようだった。大学では半導体デバイスが専門だったが、最後は画像処理LSIのプロジェクトを率いていた。

 もともと「家族と一緒に居るのが好きだ」とは言っていたが、日本の常識では考えられない年での引退である。その後、テキサス州オースティンの小高い丘の中腹に家を構えた。行ってみると、プール付きの邸で、広い芝生の庭にはバスケートボール練習用のゴールがあり、息子とそれで遊んでいた。彼は仕事では合理主義者で、余計なことは一切言わないし、あまり笑った顔は見たことがない。ドライで付き合いは良くない。群れない一匹狼然としていた。一方で、「人生は一度きり」と言って、遠くを見るような目つきをすることがあった。

 そういうウエットな言葉を私はなかば冗談だと思って聞いていたが、冗談ではなかったのだ。彼は本当に人生を人任せにしないで、自分でデザインしていたのだ。米国でも会社を変わることはそうやさしいことではなかろう。時には、随分苦労していたようであったが、自分の思いをやり遂げてしまった。その意志力には感服する。これもエンジニアのポジショニングなのだ。「人生は一度きりだよ」と、手元にある彼の笑った写真は私にそうささやく。

立ち位置は自分で決めるもの

 ポジショニングとは「どうやるかではなく、何をやるか」である。同じ半導体の仕事をするにしても、世界各国それぞれその国の置かれた事情が異なるし、一人ひとりのエンジニアにとってもその事情は異なるであろう。それは本人にしか分からない。自分で立ち位置を決めるしかない。隣の芝生は青く見える。しかし、「皆がやっているから、やる」というのは自分を活かすことには決してならない。かけがえのない自分をどう活かすか、どこに立てば自分が活きるかをまずしっかり考えるが良い。ポジショニング、これはエンジニアにとっても大事なことである。