「金融機関やメーカーなどの大企業を中心に情報システムへの需要が急増していたときでした。私は『大がかりなシステムを導入するのだから値引きしてほしい』というお客の要望はもっともだと思いました。値引きしてあげれば金融機関やメーカーは情報システムを導入しやすくなる。そうなれば金融機関やメーカーの競争力は高まるし、利用者の利便性も増す。彼らの要望に応えることは、彼らのためになるばかりか、日本の産業界や消費者にもプラスになると考えたんです。そこで会社の方針を変えるべきだと判断して、上司や部門のトップに話しました。しかし……」
 Kさんはかぶりを振った。
「私は全く理解を得られませんでした。他の部門長や役員も支援してくれませんでした。そこで思い切って当時の社長に直訴したんです」
「社長は認めてくれたんですか」
「最終的にはね。でも大変でしたよ。かれこれ10回は通ったと思います。しかも日本の判断だけでは決定できないので、アメリカの親会社にも単身で乗り込み、直訴しました。。アメリカでもあちこちで反対されたけれど、めげずに社長にかけあって、ようやく最終的に認めてもらったんです」

 その後のKさんの歩みは雑誌や新聞の記事などを通して知っていた。
 ビジネスのやり方を刷新したおかげでシステムの導入実績は右肩上がりで伸び、それに伴うようにしてKさんの社内での評価も上がり、まさにトントン拍子で出世してトップにまで上り詰めたのだった。
「それにしても社長に直訴されたのは大変な勇気たったですね。だって、もし社長が受け入れてくれなかったら、上司や役員ににらまれ、孤立無援になってしまったかもしれないでしょう?」
 Kさんはうなずき、僕を見つめてこう言った。
「同期の中で昇進が一番遅かったから、勇気を出せたんですよ。もし私が順調に出世したエリートだったら、あなたが言うように保身を考えてしまい、役員を飛ばして社長に直訴するようなリスクは冒さなかったでしょう。でも私はエリートとは正反対でした。だから左遷させられるかもしれない心配とは無縁だったし、上に取り入ってやろうという邪心も持ちようがなかった。結果として純粋な目で、仕事にはなにが一番大切なのかを判断できたんだと思います。一番大切なこと――それはなんだと思いますか」
「お客のこと……」
「その通りです。会社は売り上げや利益を上げたことをまず評価するけれど、それ以前にお客のためになったかどうかが大切なんだと私は思います。もしお客のためになったのなら、将来、それが何倍にもなって会社に帰ってくるはずです。ですから私はこう思うんです。仕事をするうえで大切にしなければならないのはまずお客であり、次に会社や組織で、自分は最後の最後にくるべきものではないか。私は自分の経験からそう学んだ気がします」
 Kさんはそう言って、穏やかに微笑んだ。

 いまでも僕は迷ったり、判断に苦しんだりしたとき、Kさんの話を思い出すようにしている。そして自分に言い聞かせるのだ。それは読者のためになっているのか。読者のことを第一に考えているかと。