仕事をするうえで一番大切にしなければならないことってなんだろう。
 どうしたらいいか判断や選択に迷ったとき、スランプに陥ったとき、いったい何をよすがにしたらいいのだろう。
 そのヒントを、僕はひとりの素晴らしい経営者からいただいた。
 名前の頭文字を取ってKさんとしよう。彼は世界中のだれもが知っているグローバルな外資系IT企業I社の日本法人の社長を務め、アジア地域のトップにもなった。また経済団体の代表としても活躍した。要するにビジネスパーソンとしてこれ以上はないほどの高みまで上り詰めた人である。

そのKさんは意外にも若手社員のころ、同期の中で最も出世が遅かったという。
 外資家企業のトップから連想されがちなアグレッシブなタイプとは正反対の、柔和で理知的な語り口でKさんはこう打ち明けてくれた。
「今でこそI社には30代でも役付きではない社員が数多くいますが、当時、会社は急成長期にさしかかっていて毎年1000人、2000人と大量採用していたんです。だから同期はみな30歳前後で課長に昇進したのに、私だけ35歳を過ぎても管理職になれず主任にとどまっていた。要するに同期の中で昇進が一番遅くて、ひとり下積みを続けていたんです」
「つらかったですか」
 そう尋ねるとKさんは記憶をたぐり寄せるように遠い目をした。
「つらかったですね。出世欲は強い方ではないけれど、同期が次々に昇進していくのを目の当たりにするのは結構こたえました。周りから『あいつは失敗したな』と思われるのもいやでしたね」
 Kさんがようやく管理職に就けたのは今から30年ほど前、36歳のときだったという。
 技術職から営業職への異動である。配下に営業部隊を持ち、技術職と営業担当者が一体になって顧客にシステムを売り込むのが仕事だった。
「でもね、今からすれば、昇進が遅れたという事実がその後の私にとってプラスに働いてくれたんですよ」
 Kさんは静かに微笑み、話を続けた。
「いざ営業を始めてみて――それまでずっと技術職だったため営業の常識に染まっていなかったこともあって、私はすぐにある疑問を抱くようになったんです。今の会社のやり方ではお客に満足してもらえないのではないかと。私どもの会社は世界中で事業を営んでいましたが、お客を差別しないという意味もあって、相手に合わせて契約条件をいっさい変えませんでした。そのためお客の要望に応えられないことがしばしばありました。例えば私どもの会社はどれほど大きな商談であろうとも値引きをしませんでした。システムの大きさにかかわらず、すべて正価で売ったんです。大がかりなシステムを導入するお客からすれば、大量に購入するのだから販売にかかるコストが下がるはずで、値引きしないのはむしろおかしいじゃないかと思いますよね。私が担当した案件でも、いくつもこうした問題にぶつかったんです」
 Kさんは一息つき、再び話し始めた。